2013年3月18日月曜日

18歳、なんでもできるお年頃

この1週間高校生と会う機会が多かった。
というほど会ってないけど偶然に2人も会えたら
僕にとっては多いほうだと思う。

「18歳かー若いねー。」と言いつつふと気づいたのは
彼らと僕ではついに10歳も離れているではないか!
ってこと。

10歳上の方と話すことは多くても
10歳下の方と話すことはあんまりない。

だから僕は彼らと接しながら
普段は自分も40歳以上の方々に
こんな感じで見られていたのかな~と思った。

こんな感じってのは
若さゆえのまっすぐさ、まぶしさもあれば
まだ多くのことを知らない小ささ、浅さもあり、
ただそれら全てを包括して
それでも何か託したい、与えたいと思う希望がそこにはある。

若いってことは社会の財産だと誰かが言っていたことが
感覚としてなんかわかった気がする。
ってほど自分はおっさん臭い年齢ではないのだが
若いってのはいいことだと改めて認識できた。




あと続けて彼らに「何でもできる歳だねー!」と僕が言ったら
「それよく言われます。でもそうなんでしょうかねぇ。」
と不可解そうに言っていた。

そう自分で言った矢先、
「確かに彼らは何でもできる歳だけど
じゃあもう僕たちは何でもできる歳ではないのか?」
と再考したくなった。

18歳、無限に道が開けているという点で確かに何でもできる。

しかし経済的に何でもできる状態かといえばそうではないし、
比較的社会経験や知識もまだまだ乏しいことが多いだろう。

そんな彼らにあるのは若さであり夢であり
失敗なんてものは存在しない歳だということだ。

できることは少ない。ただ何者にでもなれる機会がたくさんある。

一方28歳の僕たちのほうが無限に道が開けている?
ような気がしないでもない。

それなりに仕事の経験も積んでいるし、お金だって多少はあるだろう。
人それぞれに制約されていることはあるだろうが、
できることが増えているのは18歳より確実に僕らの年齢であると思う。

何者にでもなれる機会は以前と比べて減っている。
でもなりたい自分になるための手段と資源を
着実に持ち合わせているんじゃないだろうか。

だから僕が18歳の彼らに言いたかった「何でもできる」って意味は
「何をしてもリスクが低いから何でもやれ」ってことだったんだと思う。

その蓄積がいつしかできることを増やし、歳をとるごとに
厚みを増していくんではないかと思う。

そのスタートを早くからしたほうが人生面白くなるよということを
伝えたかったのかなぁと今振り返っている。

時々同世代の友達と「大学生の頃より今のほうが楽しいよな。」
と話すことがある。大学生の時の自分からは想像できないけれど
これは本当に素直にそう思える。

歳をとればとるほどに得れるものもあるんだなぁと
たかだか20代後半なんだけどそう思ってる。

歳をとるたびに楽しみが増えていく。
そんなことを考えて次の10年を生きていけたら
それはなんて面白いことなんだろうかと思う。

そしてそんな背中を希望しかない若き人たちに見せてエールを送ることも
歳をとる楽しさなのかもしれない。
とおっさん臭いブログを書いてしまった午前1時。




2013年3月10日日曜日

若さが活きる場は世界にこそ転がっている

再びベトナムに行ってきました。
おかげさまの第5期チェンジメーカー留学。

約4か月ぶりのダナン、ホイアン、フエ。

懐かしいなぁ・・・と感慨深くなるほどの期間でもなく、
どちらかと言えば帰ってきた・・・とか思っている自分もいて
改めてここが大事な場所なんだと再確認できた時間でもありました。

振り返ればチェンジメーカー留学を始めたのは2年前。

その当時僕は25歳ぐらい。そして今27歳。

大学生の皆さんとは比較的交流しているほうじゃないかと思うのだが
そろそろ「みんなと年齢も近いから仲良くしてね (⊃´∀`)⊃))」という
年齢でもなくなってきたかなと思っている。

そういった年齢になってきたということはつまり、、

同じ時代観、世界観を持っているかどうかはわからないということ。
今求めているものや大切なものが違うかもしれないということ。
「若さ」が放つ熱量と質が変わってきているかもしれないということ。
などなど。

特に「若さ」については平均年齢約28歳のベトナムに
触れていると明らかな違いを感じる。

そしてその違いは気持ちいい。

全てがそればかりじゃないけれど
やはり元気をもらえたり、プラスの側面がたくさんあるように思う。

だからベトナムの若さ、勢いといわゆる日本の若者のマッチングというか
相性は結構いいんじゃいないかと思っている。

若さゆえに持つ悩みを受け入れる場、そして若さが活きる場が
世界にこそあるんじゃないかと思っている。

もっと日本の若者がベトナム並びに同じような
若さある国々に行ってそこにいる人たちと共に過ごすことは
もっとおすすめしてもいいんじゃないかと思うのです。




ここからはその相性の良さについて少し綴ってみたいと思う。

ざっくり言うと経済成長真っただ中の国、かつそれでいて
これから注目されるであろう地方の都市に根を張り
そこで日本人ならではの日本市場へのアクセスを担う役割から
海外の経験値を積むという時間は辛いことやデメリットも
もちろんあるでしょうが結構いいんではないでしょうかということだ。

そこで得れる楽しさはいろいろある。

街が変化、成長していく中である一定描ける未来予測の楽しさ。

足りないものがたくさんある中で自分が
価値提供でき、成功体験を積める楽しさ。

ある一定日本人が求められる場があるという楽しさ。

さらにベトナムのような親日的な国に行くならば、
日本人であるということに肯定的な感情を
持つこともできるのではないだろうか。

それらのような楽しさは今の日本で得れるだろうか?と考えたとき
もちろん得れるだろうが、こちらのほうがその機会に
たくさん出会えるということを伝えたい。

話は少し脱線するかもしれないが
僕はバブルというものを経験したことがない。

ということはおそらく他の20代日本人も
ほぼ同じ感覚を持っているのではないかと思う。

あと自分の主観で時代を振り返ると10歳の頃に阪神大震災、それと同じくして
地下鉄サリン事件や酒鬼薔薇聖斗、高校生の時に9.11、大学生の頃には
村上ファンドやホリエモンが捕まる、あとは自殺者3万人超え、
消えた年金問題などなど僕が暗いニュースばかり覚えているだけなのか
どうかはわからないがJAPAN AS NO1の時代では決してなかった。

いいニュースと言えばスポーツでオリンピックやWBC、ワールドカップなど。

そういった日本で青春期を生きてきて、23歳から3年半ベトナムに
住んで思うのは今の日本よりベトナムのような経済成長していく中で
得られる国のほうが時代の流れに乗るという勘所や成功体験、
明るい未来へのビジョンなどは描きやすい。かもしれないし機会がたくさんある。
のではないかなぁ。と思っているがどうだろうか。

だからこそ今経済成長している国々で、
その機会がたくさんある場所で、
身を投じることは日本では得れないものを得れると思うのです。




また行く街が地方都市ならより自分の希少価値が高くなると思う。

例えばダナンなら日本人150人、フエなら20人、ホイアンなら
日本人10人程度しか日本人がいない。そしてその中で20代、
さらにインターネット上で情報発信している人、などと絞り込んでいくと
1ケタ程度になるのではないだろうか。

当たり前だが日本に日本人は山ほどいる。

よって何か行動を起こしたりいいアイデアを思い付いたとしても
既に自分よりもレベルの高いプレイヤーはたくさんいるため
自分が選ばれる可能性は自ずと低くなる。

するともっとスキルをあげなきゃ、アイデアを尖らせなきゃとなって
行動を起こすスピードは遅くなる。

しかし、海外に行けば上記のように日本人が少ない街がある。
それでいてこれから注目されるであろう街がある。

そのような比較的小さな市場では
参入してくるプレイヤーもそう多くはいない。

そこで現地に飛び込み日本市場に焦点を
当てた役割を担ってみてもいいかもしれない。

高齢になればなるほど比較的使わなくなるインターネットを駆使して
世界へ発信し人とつながることは若者が優位性を獲得できる機会だと思う。

そうなると能力が高い低いうんぬんではなく選ばれる。
選ばれることで経験値を高め、その中で成功体験を多く積める。

英語話せる人もいるだろうし、ベトナムのような東南アジア各国には
日本語話せる人もたくさんいる。

地方都市には日本人も少ないだろうから
きっと歓迎されるだろうし多くのつながりができるだろう。

そしてこういったことが成立し得ること自体
「日本」があるからこそできることであると
認識できる時がくるのではないだろうか。

その認識を通じて自国の先人と各国の人々に敬意を持ち、
自分なりの世界との関わり方を
紡いでいくきっかけに成り得るのではないだろうか。




ここではざっくりと若者という一括りにしてしまい恐縮だけど、
若者というのは圧力とどう戦うのかということに
悩む存在なのではないかと思う。

なぜ悩むのかといえば
正しいと思うことがあるのに言えなかったり、
やりたいことがあるのに他人の目を気にしたり、
自分を信じきれない弱さだったり、
自分が自分として生きられない悩みがあるのではないだろうか。

僕はそんな圧力から積極的に逃げ出して
いわゆる世間一般の正しさ常識が通じない世界で
活躍することもできるんじゃないかと思っている。

そして自分の正しさや自分が今持っている資源で
生きられる場、認められる場が世界にはあると思っている。

かの大前研一氏が自分を変える3原則は
付き合う人を変える
住む場所を変える
時間配分を変える
と言うように国を変えれば、社会の正しさや常識が変わり、
そこへ行けば自ずと自分を変えられるのではないだろうか。

まあそんなことを約1週間、若き人たちとベトナムで過ごし、
若さが活きる場は世界にこそ転がっているんじゃないかと思ったのです。