2012年5月27日日曜日

思いやりの心

ども!来週から6月2日(土)まで神戸大阪に戻ります!

そしてその後1週間ほど東京に行きます!

まずは母校でキャリアデザインできてないばからつ氏から学ぶ
こんな奴になってはいけないキャリアデザインIN甲南大学。

もう大学側もどえらいOBを輩出してもうたと大慌てですわきっと。

あ大阪では、キャリアぷらっとフォームとか大阪中小企業展とか
チェンジメーカー留学INベトナム説明会にも出没するので
ぜひどこかでお会いしましょう~。

ぜひぜひ面白半分、ひやかし半分で来てみてください~。

東京にいる皆様もいろいろとお声がけください~。


さてそんなこんなでどたばたしておりますが、
先日弊社ベトナム人の皆様から「これ、ご家族にお渡しください。」
とお土産を頂きました。


 


こういう場面には今まで何度も遭遇しているのですが、
その度に思うのが「この気遣いは一体なんなのだろう?」
といつも不思議に思います。

いや不思議なのは彼らではなく、多分僕自身であって
「なぜ僕はこういった気遣いができないのだろう?」と思うのです。

きっとこれが「思いやり」ってものなのかな。

以前ベトナム人のザ・テキトーな接客について書いたことがありますが、
今回のように僕の家族のことまで考えてお土産を買ってきてくれる
ホスピタリティ精神も同時に兼ね備えるベトナム人。

「こいつはまじでうんこ野郎だ。」と思う瞬間もあれば、
「自分まじ器小さくてすみませんでした。」と思ってしまうほど
優しさを発揮する瞬間もある。

この国は感情を揺るがす触れ幅が大きいなぁとよく思います。

昔、「ハノイの純情、サイゴンの夢」という小説を読んだ時に
とても印象に残っている部分があって、
著者がハノイからホーチミンに向かう日に
アルバイトのベトナム人学生は自分のガイドの至らなさと
ベトナムの貧しさに泣いて謝り「ベトナムのことを嫌いにならないでください。」
と言い、ホテルの受付は
「もう行っちゃうの。寂しいわね。今度はいつ来るの?」
と質問してくる。

たった数日間過ごしただけの外国人にどうしてここまで感情移入が
できるのだろうと日本人の著者は困惑しながらも、
同時に「この国でならどうにかやっていけるかもしれない。」と感じた。
というような文があったと思う。

この短期間での感情移入という表現は僕自身もベトナム人と接する中で
感じることがあって、なんでちょっと会っただけの人に
こんなことができるんだろうと感心することが多々ある。

しかしこれはベトナムのサービス力が高いと言っているわけではなく、
平均値で考えれば日本のほうがもちろんのことながらサービス力は高い。

でもそれだけでは図れない心動かすものがある。

それが今回のような、僕だけじゃなくて家族のことまで考えて
何か与えようという行為につながってくる。

書いてて思ったけど、
ベトナムには感情を通わすというプロセスが何事にも必要なんだと思う。

日本なら多くの場合、どんな人が来ても
機械的にマニュアルにそって決まったサービスを提供する。

ただ、ベトナムはその人によってサービスを変化させる。

感情を通わせることによって、お客様や他人という「外」から、
仲のよい存在である「内」に変化させるのかもしれない。

その外から内への距離間の縮め具合がとても早く、とても近い。

僕たちは便利さと豊かさに溢れた社会の中で心を通わすということを
どっかに置き忘れたのかもしれない。

だから今回のような彼らにとっては当たり前の行動1つに触れただけでも、
僕にとっては忘れがちな人とつながる温かさと自ら与えようとする
姿勢の大切さをじわっと思い出させてくれるのです。






2012年5月9日水曜日

広がりのグローバル、縮まりのグローバル

先月チェンジメーカー留学に関わってくれた
ベトナム人大学生2人が日本に留学へ行った。

原発の影響などもあり日本へ行く
外国人は一時的に停滞しているが、べトナムだけは伸び盛りである。

そんな中、先日facebookを見ると
彼女達がチェンジメーカー留学を通じてベトナムに
来てくれた日本人のみんなと再会している写真を発見した。

たった1週間の短期プログラム。

日本人がベトナムに行くことは容易にできても
ベトナム人が日本に行くことはまだ容易ではない。

だから一度きりの出会いで終わってしまっても仕方がない。
そう思っていた。

でもお互いに自ら機会を作り、
自ら発信して自らの意志で行動を起こしてくれた。

誰かにそうしろと言われたわけじゃない。
僕たちが何かお膳立てしたわけじゃない。

やりたいと思ったことを素直にやっただけ。

それは本当に素直に嬉しい出来事だった。






さて、話は変わるけど、
昨今グローバル展開、グローバル人材などなど
グローバルという言葉がよく聞こえてくる。

国自体の取り組みを見ても、G30、クールジャパン、
海外インターンシップ、留学生30万人計画、
外国人教授並びに外国人高度人材の誘致、2015年ASEAN自由貿易、TPP加盟
などなど国の垣根はどんどん低くなっていく。

時代背景は理解できる。
けど、ぽっかり抜け落ちている自分の理由。

自分に忠実に、心から、グローバルを目指そうとしている人って
どれぐらいいるのだろうか。

海外に向かわないと仕事がないからとか、
国際競争力を高めるためとか
誰かの理由じゃなくて自分の理由をつくることが
大切じゃないかと感じている。

世界はとてつもなく広い。
漠然としているがそんなことを感じている。

そういった広さゆえの刺激、チャンス、厳しさ、多様な答えがあり、
その中で自分が確立できなくなることもあるのではないだろうか。

本当にグローバルな人はどこにいるのだろうか。
どうそれが育まれるのだろうか。

僕たちが目指すグローバルの定義は広大な世界の中で
やや曖昧なものになっていると感じている。







もう一度話を戻してチェンジメーカー留学のみんな。

彼らを通じて僕は

世界は縮まっているのかもしれないなぁ。と思っている。



「グローバル」という言葉を使う時、
限りない広がりを僕はイメージしてしまう。



でもこれから日本人にとって海外という位置づけは





未知なる世界に飛び出していく。


というよりも


今まで遠くにあった世界が自分の足元に近づいてくる。





そんな感覚になるのかもしれない。

冒険、挑戦といった表現よりも当たり前にそこにある存在になる。

むしろそういう感じになったらいいと思う。


今回の一件を振り返ると彼らがベトナム人という

外国人と再び出会った動機はただ単純に会いたかっただけだと思う。



そこに時代の流れや日本の将来とかは関係ない。


新聞を見れば「ベトナム」という文字が気にもなる。


友達なんだから、会いたい。気になる。
ただそれだけじゃないだろうか。



そうやって今まで自分の関心の外にあったものが

自分の内に入ってきて、自分の世界の一部として取り込んでいく感覚。


広がりのグローバルではなくて縮まりのグローバル。

把握しきれない広大な世界に翻弄されることなく
自分の手の中に世界を納める。

そう言葉を変えてみるだけで
自分と世界の一体化を当たり前に感じれるようになれるかな~。
とかぼんやり思っている。






2012年5月2日水曜日

日常・非日常

長らく、書くことをやめておりました。

なんか、あんまり書くことないなーとか。
これ前も書いたような気がするなーとか。
なんかおもしれーことないかなーとか。

そんなことをぐるぐるぼーーっと
思ってたらだいぶ時間が経っていました。

以前は体験する日常全てが新鮮で非日常でした。

バイク5人乗りを見たり、
ぼったくられたり、
遠くまで遊びに行ったり、
幸せそうな家族を見たり
物乞いに出会ったり、

でもそれらはいつの間にか僕のいつもと変わらぬ
日常となってきたのでしょう。

1年目は日本とベトナムの違いを感じ、
2年目はベトナム国内での変化を感じ、
3年目はベトナム、日本起点で世界をぼけーっと眺める。

非日常が日常に近づいてきているのかな。

日常に幸せを感じる一方、その日常に溶け込む危うさも感じています。

さて、どうする、俺。

そんなこんなでブログ再始動です。

継続は力なり!