2011年2月20日日曜日

今やりたいこと。

今日久しぶりに両親に連絡をした。
約50日遅れの明けましておめでとうメール。

そしたらすぐに返事がきて、
「最近ハロン湾で観光客船沈没のニュースがあったから
あんたちゃうかって心配してたところやったわ。」
と書いてあり、未だに僕がどこに住んでいるかわかっていないようだった。

しかし、思い返せばちょうど去年の今頃、
両親がダナンに来てくれたんだったなぁ。

うちの親、てか50歳より上ぐらいの人たちにとってベトナムという国は
ベトナム戦争ぐらいから時が止まっている場合が多いと思う。

僕がベトナム行くって言った時も

「あやしすぎる。。しかもダナンってどこやねん。。
みんな仕事してるんかいな。。人身売買の仕事でもやらされるんちゃうか。
おとなしく近所の川○重工にでも勤めてくれ。」

と偏見丸出しで止められた。まあそれが普通の親心というものなんだろう。

で、実際に来てダナンをちょっとぶらっとして
今の住まいに案内したら
「部屋ひろ!!東京の小汚い部屋よりええ生活してるやん。お姉ちゃんに報告しよ。」
と写真撮影しまくり、ホイアンにも連れて行った結果、
「結構ええとこやん。これなら安心やな。また来るからよろしく~。」
と言い、わずか1泊でダナンを去っていった。



それからもう1年。最近は本当に時間の流れが早い。

いつの間にか2年、3年と簡単に過ぎてしまいそうだから
テト休みのときにちょっとだけ真剣に考えてみた
妄想&具体的なことをここに書いておこうと思う。


まず抽象的なことから書くと・・・


・リアルな社会(世の中)と教育現場の間にあるギャップを縮める。

・雇用される個人と雇用する組織の関係性。働き方生き方。

・街や土地、地域にあるものを活かして輝く街づくり。

・外国人に日本っていいなぁと思ってもらうこと。



・言葉や法制度、無関心、偏見などによる外国(人)と日本(人)の距離を縮める。
・日本に自信を持ち、誇りを持ち、日本を元気にする。
・日本文化・カルチャーの発信。

・日本の中にある外国。外国の中にある日本をつなぐ感覚。

・売りたい、客増やしたい、いい人を採用したいという欲求を満たす。
・まだあまり開拓されていない外国にぶっこむ。
・海外サバイバル教育。
・誇れるものづくりを世界に発信、進出。

・終わりなく広くて深い世の中の勉強
・リストラ族の働き方革命

などが興味ある。



んーじゃあ具体的にはどゆこと?って言われると・・・


・夜間学校

・日本にいる外国人に日本語

・日本のどっか世界のどっかで観光業

・在日外国人、難民、留学生などの支援

・世界をブラブラ、ベトナムブラブラ

・多文化共生、移民、日本の国際化とナショナリズムのバランス

・またインターンシップの仕事

・がっこーの先生

・広告とかウェブとかの制作とPR
・海外サバイバル教育

とかがあるのかな。なんか具体的じゃないのもあるけどまぁいいや。笑

もっといっぱい思いつくけどひとまずこんなもんかな。


ベトナムに来て思ったことは、本当に今まで自分が生きてきた世界、
見ていた世界というのは狭かったなぁということ。

だからそれまではよくもわるくも純粋だったと思うし、
もっとわかりやすく生きていたと思う。

でも今は一気に世界が広がって、いろいろと面白そうなことがあって、
行ってみたい場所があって、でもでもまだ自分には足りないものもあって、
遅くきたモラトリアムって感じです。

いつまでもそうじゃいけないと思うから、
近いうちに何かしら結論を出そうとは思っているけど
人生焦って生きるもよし、ゆっくり生きるもよしなんだから
流れるままに、でも時には強い意志をもっていこうかなと思います。

今は今を充実させることにできる限り専念して、
その結果開かれる道を歩んでいけるといいなと思った
ダナンの深夜2時。






2011年2月8日火曜日

意味のない言葉

ようやくテト休みも終わり・・・と思ったのですが、
まだまだ働いていない人が多い今日この頃。

そしてテト料金だからといって
どこもかしこも値上げしまくりカフェの値段も
2.5倍ぐらい高くなってるもんだから
普段はあんまり来ないハイランズカフェに最近は行っている。



さて今回のテト休みで僕が1番楽しみにしていたのは
1人になる時間をつくること。

てかいつも1人やん。

という突っ込みも聞こえてきそうだが話を続けよう。

もうというかまだというかなんというか
僕ベトナム来てから1年8ヶ月が経っていました。

当初やっぱ3年ぐらいは住んでいないと
ベトナム行って修行してきましたって感じにはならねーだろう
と直感で思った3年という期限のうち、折り返し地点過ぎています。

最初の半年間のはものすごく時間が長く感じたが、それ以降は
あっという間に過ぎてしまい、気がつけば1年8ヶ月。

もうあと3歩ぐらい深みにはまるとインド人並みに
時の流れに鈍感な感性を得られそうな気がします。

やっぱ多感な時期に世界を知ることは
人生に多様さとモラトリアムを与えてくれますねー。

焦り?もあるけど、マイペースにいこうと思ってます。

なんかですね、僕の中では一所懸命とダラダラ感の
バランスっていうのが密かに大切にしていることでして
たかが仕事、されど仕事、でも仕事頑張らない人生なんて楽しくねーじゃん。
ぐらいで生きています。

でも時には日本人として生まれ育ったからには
世界に貢献して生きなくては!とか思うし、
でも一生に一度の人の人生なんだから幸せに生きればええよね。
って基本思うことにしている。

うーん、この今の状態をコンサル風に言うと・・・
「つまり今あなたは何が言いたいのですか?」
ってことですよね。

うーん、時にはオチも意味も何もないことを書いてみたいってことかなぁ。


ブログやtwitterってすごくて、こんな意味のない
わけのわからない文章にも遠くの誰かにとっては
意味のある言葉になったりするんです。



1人でぼーっとして、

物思いにふけて真剣に何かを考えているようで


結論特に何も考えていない無駄と言っても過言ではない時間が

ここに書き記すことで誰かが反応して意味が生まれる。



別にたいしたことない内容ばっかりです。

でもそれに意味をもたしてくれる場なのです。ここは。



みんなブログ書いてそれにみんなが反応すれば

それだけでうつの人とか減るような気がするなぁ。



ということでだから今日も僕は1人になって

考えたこと、決意したこと、伝えたいことを

明日には考えが変わってるかもしれないけどここに書き記しています。



twitterのようにてきとーに思いついた言葉がある人にとっては

とてもいい言葉だったりするのも面白いけど、

こんなこと書いて意味あんのかなぁというようなことに時間をかけて

世にさらすブログのほうがなんか自己満足感高まるから僕は好きなんです。

なんかもっと今年の想いみたいなのを書きたかったんだけど、
今日はこんなモヤっとする気分を書いてみたくなりました。

とにかくここに何か自分の気持ちを書き記すことで
後々、僕自身がこの時の感情を思い出せるのが面白いのかもしれないなぁ。

次回こそはちゃんと具体的なこと書きます!

ということではまた!





1年の始まりと終わり~旧暦年越しクイニョン編~

さてさて、今回は1年の終わりである旧暦の1月末テト休み編です。
ついにやってきたテト休み。
まじで飯を食える場所がなく、どこもかしこも休みまくっております。



とにかく長期休暇のときってのは不思議なもので
ここではないどこかへ行きたい。。
いや行かなくてはならない・・・!!!

という衝動に駆られ、本当はラオスに行きたかったのですが
諸所の事情により断念し、どうしようかと考えたところ
この時ダナンはちょいと冷えていたので暖かいところへ行きたいと思い立ち、、

じゃあニャチャン!
がしかし去年も行ったし、ニャチャンより遠いところはイヤだし、じゃあ・・・





クイニョンというローカルな海辺の町を攻めてみることにしました。




2月2日4:30am

駅到着。

暗い。。
そして誰も降りない。。駅周辺真っ暗。。

バイタクの親父5人ぐらいと相談し、どうやらクイニョンは
ここからバイクで15分~20分かかるぞということが判明。

地球の歩き方でも200文字ぐらいでしか

紹介されていないクイニョン。

なんかそういうあまりのどうしたらいいか
わからない状況に置かれるとテンション上がりますよね。

さて、クイニョンに着いたのですが、、






思った以上に何もない。。
海も別にきれいじゃないし、てか寒い。。ダナンと変わらん。。

決定的だったのが、フォーしか飯食うところがないということ。
なんか麺の形とか食感やらなにやら僕の口に合わず
夕方17時までに3軒のフォー屋さんで食べましたが全て同じ味。。

しゃれおつな感じで安らげるカフェもねぇ。。
もうダメだ。。つらい。。なんだこの街は。。やたらカラオケが多いよ。。

そんな街でも年越しの瞬間は花火を盛大に打ち上げられ
その瞬間を夜だけやっているちょっとしゃれおつカフェから眺めていました。




ということで・・・

2月3日8:00am



心が折れたため、ニャチャン到着。

※去年と同じ写真を使用。


2月3日の夜中2時30AMにクイニョンを出発しました。
滞在時間約20時間でお腹いっぱいです。

・テト休みにローカルな場所は攻めないこと。飯が食えない。
・あったかさ求めるならニャチャンまで行け。

を今回は学ばせて頂きました。

クイニョンの名誉のためにポジティブ情報提供すると・・・

・サーフィンするには最高の波が来てるらしいBYダナン在住者
ライフリゾートクイニョンで安らぐのはかなり快適らしい
・出会う人全てがえらく優しかった
チャンパ王国好きならかなり楽しめると思います。
 寒くなければゆっくり見て回りたかった。。

以上!次回また攻めてみますクイニョン!!


ニャチャンはあったかく、年中営業中のため、
飯もいろいろ食えてつかの間の安らぎを得ることができました。

では次回いろいろとこの休み中
物思いにふけたことをまとめていこうと思います。



2011年2月1日火曜日

1年の始まりと終わり~西暦年越しホイアン編~

ブログ更新1ヶ月停滞しておりました。。
遅れましたが新年あけましておめでとうございます!

昨年度は皆様と楽しく過ごせた1年でした。
今年もどうぞよろしくお願い致します!

とずっと言いたかったのですが
ベトナムは旧暦で動いており、2月3日がHAPPYNEWYEARでして
今からお正月休みです。

2011年テト休暇公務員は31日から8連休

ベトナムに限らず他のアジア各国も旧正月でかなり休んでるみたい。

テトで9日間休みになるベトナム大使館!

ちなみに在ベトナム日本大使館は3日間しか休みませんー。

ということで今まで西暦の時間の流れで生きてきた僕としては
12月末からのんびりしたくなるのですが、ベトナムで仕事をする僕は
そうもいかず自分の年末は今じゃないんだと言い聞かせ、
・日本から見れば、1年の始まりである1月
・ベトナムから見れば、1年の終わりである1月
という不思議な感覚で1ヶ月を過ごしました。

そしてようやく一息つける時間ができたため
1年の始まり、そして終わりをPART1、PART2に分けて書こうと思います。

じゃまずは12月末→1月の1年の始まりから。

【第1部 日本時間年越し編】

12月末から1月初旬にかけてダナン&ホイアンに
たくさんの日本人&ベトナム人が
・単純に年越し旅行
・海外で働きたい!
・ベトナムカフェプロジェクト視察
・ベトナムドリプラ&帰郷
・ダナンの幼稚園でボランティア
・ホイアンで仕事スタート
・ホーチミンから遊びに来た
などなどの多種多様な目的で集い、ホイアンの侍食堂で年越しそば食いました。




そういえば去年のこの時間はダナンの川沿いのベンチで1人寝転がって
いつの間にか12時が過ぎていたというなんとも寂しい年越しでした。。

それが今年は約20人がホイアンに集まり、
かつ日本人が経営する飲食店という素晴らしい場で年越しができました。

自分の身の回りという小さな世界ですが、この1年で「ベトナム」という
キーワードで多くの人とつながれたことで、日本とベトナムの距離、
日本と海外の距離が少しずつ近くなっているように感じてます。

いい写真だ。。



そしてベトナムは日本と2時間の時差があるため、
まずは日本タイムでカウントダウン。



【第2部 ベトナム時間年越し編】


10時PMで日本時間の年越しを終え、お開きになった後、
みんなそれぞれに行動を始め、
僕はホテルでまったりしようと思ったのですが、
「カウントダウンライブがあるから会場に来て!!」という友人と
「まだホイアン楽しんでないから行こう!!」という友人に誘われ
野外ライブ会場へ乗り込むことに。。



静かで風情を感じる古都ホイアンに場違いな爆音ライブ会場。
ちょっと離れて見るとかなり小さな規模で欧米人観光客のためだけに
つくられているような場所でした。

先に到着しているはずの友人を探すべく、
電話をかけるものの電話に出ない。

友人A:「電話でねーな。。」
からつ:「どこにいるんでしょうねぇ。。」

しぶしぶにぎやかなステージ上へと近づく僕たち。

友人B:「・・・あぁ!!!」

ステージ上を見て叫ぶ友人B。

からつ&友人A:「ああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

欧米人たちに紛れて私達の友人が
日本代表としてステージに上がっていました。。
その様子を動画からご覧くださいませ。





どうやら欧米人にも「メイド=JAPAN」とわかるようで、
みんなから注目の的になっており、写真撮られまくりで
アイドル状態になっておりました。

記念に僕たちも撮影。




こういうライブ会場って僕たちは恥ずかしがって
ステージにすら上がれないんだけど、
彼女はステージに上がるどころかコスチュームチェンジまでして
ステージに上がり、ファンキーな欧米人たちを抑えて
存在感ナンバー1でした。

しかしなぜあの服を持っていたのでしょう。。いつから仕込んでいたんだ。。

「なんで着替えたんですか?」
って後から聞いたら
「ちょっと不完全燃焼でこのままじゃ年越し終われないなと思って。。」
とプロアスリートばりの回答をしてくれました。

他にも観客席から眺める日本人客もいて、
「メイド最高です!!!」
とリスペクトされてました。

なにはともあれアゴが痛くなるほどの笑いを頂き感謝です。

そして最後にベトナム時間の西暦2010年→2011年
カウントダウンをド派手に迎え、、







僕はステージへの階段を駆け上がろうとしたところ、
すっ転んで終わりましたとさ。

今までにない刺激的な年越しを
一緒に過ごしてくれた皆様本当にありがとうございました!