2010年8月29日日曜日

ホイアン祭りに行ってきました。

更新かなり滞りました。。

日本では9月にベトナムフェスティバルがあるようですね。

そしてそれとは関係ないですが、ホイアンでは
8月21日~23日はホイアンフェスティバル?ホイアン祭り?がありました。
これが何かっていうと、1年に一度の日越交流のお祭りなのです。

今回たまたま来てた日本人のお客さんと話してたら、
ちょっとごちゃごちゃになってたのが

「街の灯りを全部消してランタンの灯りだけで
夜を過ごすランタン祭りというのもあると聞いたけど、
それとは違うの?一緒なの?」

という質問頂きましたが、違うのです。

ランタン祭りのこともホイアン祭りと言ってしまう方もいると思うので
みなさんそれぞれ呼び方がちょっと違うのですが、
僕は以下のように区別しています。

・ホイアン祭り(フェスティバル)→1年1回。8月の中旬にだいたいある。
※ベトナム⇔日本の交流が目的

・ランタン祭り→、1ヶ月に1回。満月になる旧暦の14日にやる。
旧暦のカレンダーで14日をチェックしてくださいねー。
ということで今回たくさんの人が偶然にもホイアン祭りの日に
旅行に来ており、わーびっくりといった感じでした。

さてここからはホイアン祭りの様子をちょっとだけ紹介。

お洒落なレストラン。Morning Glory。

ここでは昭和女子大学の教授が企画した
クッキングショーがありました。



昭和女子大は結構昔からホイアンの街での建築研究などに
携わっているようで、今回は女子栄養大学(うる覚え)の先生がきて
日本料理の繊細さや食卓の空間コーディネートなどのお話も
ありました。下が説明してる写真と観客の写真。






お次は茶道と書道。



午前中に茶道があって、午後に書道。

多分このおばさま同一人物ですよね・・・?



この漢字書いてー!みたいなことを言うと、
おばさまがさらさらと漢字を書いてくれるのです。

僕は日本語話せるベトナム人の学生たちと遊びに行ったんだけど、
みんな自分の名前を漢字にしてもらってました。

昔はベトナムも漢字圏の国だったから、
彼らの名前の多くは漢字に変換できる名前が多いのです。



そして,反対側ではベトナム書道。

ベトナム人のおじさまがみんなのオーダーに
こたえてさらさらと書いてくれています。

ベトナムの書道かっこいいなーと個人的にすげー思ってます。


次は名前はよくわからんが、棒を使ったゲーム。

赤いシートのところに出たら負けだから、相撲と同じってことで
相撲コスチューム。

重量級の対戦。
右は日本人。左はでか過ぎて相撲コスチューム着れない欧米人。





ガチです。



試合終了。
素晴らしき文化交流。



日本橋近くでは浴衣レンタルもやっており、
ベトナム人女性たちが続々と浴衣になっていました。




ボランティアの日本人いわく、着付けて着付けて着付けまくったとのこと。、

お祭りでテンション高めな学生達。いつもより距離が近いです。
ちょいおーい。

下の写真は3Rプロジェクトというハノイの学生団体?がきて
MOTTAINAIフェアをやっとります。

企業からの協賛も学生達だけでとってこれるぐらい
主体的な学生たちが多いとのこと。

都会はすげーですね。



建物の奥では、自分の要らない服をあげる代わりに、
店の中にある服で自分が欲しいをもらえる物々交換フリマやってました。

Reduse Reuse Recycleの素晴らしき活動です。


夜には開会式で
島根や大阪堺市の方々が伝統舞踊を披露して
盛り上げていました。



日本人を見つけるとすかさず声をかけ、写真を撮りまくっていく学生たち。

はっぴを来ている島根の方は格好の餌食でした。


ただ日本人だというだけでキャーキャーされる体験ってのはなかなかできないし、

それは要するにどういうことなんだろう?とか

なんで声をかけてくれるんだろう?とか



いろいろ考えると自分の国や日本人だということの
アイデンティティみたいなものを考えたりできると僕は思う。



こういった海外で日本文化の紹介や交流というのは
国際交流という観点以外にもキャリア形成や日本人としての誇りや
問題意識が持てたりして非常に有意義だと思ってる。


写真はないけど他にもたくさんあって、琴の演奏もあれば
川でボートレースもあるし、子ども向けの折り紙教室や
日本の大学生がきて縁日もやっていた。

1年に1回の大きな行事。

もっと日本人がきて、もっと地元のベトナム人も入り込む
祭りになればいいなと思う。

もっと面白く、もっと社会的意義もあって、
もっとベトナムと日本の距離が近づく機会になればいいなと思う。

では最後の締めくくりは知る人ぞ知るホイヤン娘ライブで締めさせて頂きます。。









2010年8月15日日曜日

「今この瞬間」を楽しむ旅行

約10日ぶりの更新です。

日本は夏休み真っ只中ですが、ベトナムはもうじき夏休みが
終わろうとしています。

ベトナムに帰ってきて、約1ヶ月。
いろんな人がダナン、ホイアン、フエに来てくれました。

その中でも、楽しい旅行になっただろうなぁと僕が勝手に思っているのは
フエにいる川村の後輩である中澤君と高井君。

日本語の授業を手伝う&ホイアンに行くために
ダナンにもお越し頂きました。

彼らから帰国後メールが届いたので、
どんな風に楽しかったのかちょっと彼らのメールを抜粋。

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着くやいなやあの交通状態の中でバイクに乗っかったと思ったら
次は自分でチャリンコ漕いで訳の分からない道を行ったり来たりして。
キャラの濃い面々に囲まれる観光から
最後には女子大生との合コンまでw
とにかく全て面白すぎました!

PS.今から連絡先交換した方々から来たローマ字メールの
解読作業に入ります!笑

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てな感じだったようです。

もうちょっと具体的に説明&付け加えるなら・・・

日本語旅行ガイド育成コースに参加している
女子学生と一緒にバイク2人乗りでホイアン観光。

しかし、帰りに謎のバイク故障で炎天下の中バイクを押して帰ってくる。

バイクが直り、市場へ行くと突然の大雨に打たれズブ濡れになる。

そして夜は日本語授業に突入。

学生からポッチャリ系と言われた中澤くん。
体育会系な明るさとボディランゲージで次々と仲よくなっていました。
次はお仕事でベトナムにカムバックしてください。



甲南つながりで一気に親近感がわいた高井君。
女の子に囲まれ、ハーレム状態です。



いい感じで中沢くんと高井くんが学生と会話できてきて、
よしよしと思った矢先、ハプニング発生。学生に呼び出され、質問を受ける。

学生:「先生、みつけの人を知っていますか?」
僕:「みつけの人?だれそれ?」
学生:「見附市の人です。今日は見附市の人達がダナンに来て、交流をします。」
僕:「・・・いつ?どこで?」
学生:「あと10分でここにきます。11人来ます。」

ちょいおーい。

僕:「わかりました・・・けど交流ってなにするの?」
学生:「いいえ、わかりません。」
僕:「その交流の内容は僕たちが考えるのか、
   見附の人達が考えるのかどっちですか?」
学生:「いいえ。わかりません。」

ちょいおーいちょいおーい。

少し説明をするとダナンは日本のいくつかの市と友好関係を結んでいます。

その中の1つが新潟の見附市というところであり、他にも神奈川の川崎市や
大阪の堺市なども友好関係があるのです。

そして10分が経ち、本当に見附市の方々が登場。
中学生から見附市役所の方、教育委員会の方など
年齢層が様々な11人がやってきました。

僕:「すみません、本日は交流するための何か予定はあるのでしょうか?」
見附:「いやー特には。。歌なら用意していますが。。」

こういった土壇場でどうにかすることにはだいぶ慣れてきました。。

ということで早速、日本人がたくさんいるんだから
日本人1人:ベトナム人2~3人のグループになり
個別にトーキングタイム!!に中澤くんと高井くんも巻き込みました。



中学生が来ていたのはとても新鮮で、彼らは将来この日本語を勉強している
ベトナム人との交流体験をどのように振り返るのだろうと
一人もの思いにふけながら、写真をパシャリ。

最後に見附市の人達が夕焼け小焼けを歌い、なんとか無事に交流は終了。

さてさて疲れたことだし、今日は授業をはやめに切り上げて
さとうきびジュースをみんなで飲みにいくことにしよう。

ということでまたもや中澤くんと高井くんをここでも巻き込む。

予期せぬハプニングの連続で本当に疲れたと思います。
中澤くん、高井くん、本当にお疲れ様&ありがとうございました。

※話変わって・・・

前に青年海外協力隊の人と旅行中に写真を撮るという
行為についての問題点を話したことがあった。

写真を撮るという行為は、今を楽しむというよりもそのあとの
思い出としての振り返りやブログへのアップなど
まだ旅行中なのに、既に旅行が終わった後のことを
楽しみにしている行動であり、今その瞬間に目がいっていない行為だ。

というような話をした。

これは結構旅行業界の人達の中ではよく話されることらしい。

確かに自分も旅行へ行ったらよく写真撮ってるな。。

もちろんそれは何も悪くないし、写真を撮ることは旅行の楽しみ方の1つだ。

ただ、僕は今回、中澤くん高井くんのハプニングだらけの旅行を
垣間見て、彼らは旅行している「今この瞬間」を楽しんで
自分の心に、記憶に、ベトナムを刻みつけることができただろうなぁと思った。

何より2人はすげー楽しそうだった。

授業中、みんなと一緒に過ごした写真は全く撮れてないけど
彼らのメールアドレスはゲットできている。

写真がないから、顔を思い出すことはできないかもしれないけど
メールのやりとりが彼らとの思い出を蘇らせる。

写真よりもずっと思い出に残るものは、
人との交流やその時、その瞬間の感情や出来事じゃないだろうか。

1枚も写真を撮らず、記録には残らないけど
記憶には鮮明に残る旅ってどうだろう。

そんぐらい今この瞬間に夢中になれる旅。
なんか疲れそうだけど、楽しそう。

癒しとかリフレッシュとかじゃなくて
心身ともにフル回転かつ刺激的な出来事が次々と起こる感じ。

めっちゃ疲れたけど行ってよかった。

そんな感じの旅行ってどうでしょう。




2010年8月4日水曜日

フルコミッション

フルコミッション。

またの名を完全歩合制。
��か100であり、DEAD OR ALIVE、 ALL OR NOTHINHGである。

この言葉から、2年前東京で仕事していた時のことをふと思い出した。

そういえばいっときフルコミッションで営業をしていたんですよ。
��ヶ月間だけやけどね」。

��ヶ月目が0。
��ヶ月目が1件。
��ヶ月目が2件。

というふうに少しずつ契約が増えたけど、
結果今はベトナムにいる。

��ヶ月目の0の月は先月の給料があったから生活に支障なかったけど、
��ヶ月目の1件のときはその月にとった契約のコミッションが
来月に回されて、その月の末に払われなかったから焦った焦った。

ちょうどその頃、会社の仕事で日本で働きたい留学生の
就職転職フェアがあって、そこに僕たちもブースを構えて
いろんな外国人の面談をしたんやけど、
たまたま上海出身で早◯田卒業予定の中国人と話をしたんです。

上海なんて都会やし、仕事もたくさんあるやろうし、しかも早◯田やし、
帰ったらええやーんて話をしたら、

「大卒だと上海は給料5万円なんです。。生活できません。。」

と言っていて、その給与差に衝撃を受けたその日の帰りに
僕の口座の振込金額見たら給料が5万円になってました。


からつの給料が上海勤務になってる!

と爆笑しながら三田で先輩に大戸屋おごってもらったことを
懐かしく思い出してしまいました。

辛かった・・・という思い出に全くなってないところが
なんか不思議だなぁと思う。

それはつまり、お金がないってことが必ずしも幸せじゃないには繋がらないし、
毎月固定給もらっていたら人生楽しいわけでもないってことだろう。

お金がないってのは今も昔もそんなに変わらないけれど
フルコミッションのときのような、なんか必死こいてやってる感覚とか
必死こいてやんなきゃならないけど、必死になれずになんでだろうとか
今日1日を生きたって感覚が固定給だと薄まってくる感覚がある。


売れねー商品売ってる場合じゃねーと考え、
全然自社サービスと関係ない商談を持ちかけてみたり、
契約料金勝手に変更して契約とってきたり、
先輩と2人で暴走して夜な夜な練った企画を売り込みに行ったり
会社として、組織として、経営として、何一つ機能していなかったと思うし
そんな状態だったから、そういう結果になったんだと思う。

でもあの頃が1番楽しかったなぁと心から思う。

辛く、どうしようもないときほど楽しめる人間なのか。

一緒にいる人達と過ごす時間が心から好きであれば
どんな時でも楽しめる人間なのか。

どっちなのかはまあ置いといて
フルコミッションの時の気持ちを思い出しながら
仕事してみようかと思う。