2009年12月26日土曜日

ワーキングプア、カジノに行く&新しい仲間がダナンに。


  一夜明けましたがメリークリスマス。





誕生日の時も書きましたが、まさかベトナムでクリスマスを迎えるとは・・・



そしてさらに唐津のくせに=(全くお金もってないくせに)
カジノでクリスマスの夜を過ごすことになるとは・・・!!!





ということでつい3日ほど前にオープンしたカジノに到着。







第一印象は「暗っ。」
これは夜9時半頃の写真っていうこともあるんだが、
本当に周りはこれ以外何もないんだわ。今のところ。

このカジノがある通りはこれからハイアット、レックス、シェラトン、
マリオット、インターコンチネンタルなどなど世界の有名ブランドホテルが
立ち並ぶ予定になっており、今はカジノしかない状態。

しかもこのカジノ自体もこの後ろや横にもでっかい建物作ってるんやが、
それもまだ建設中のため、ここだけまずスタートって状況。

中の写真は撮れなかったんやけど、状況お伝えすると、
全く出来上がってないやん!&中国人しかおらんがな!&人少なっ!
という状況でした。

そんな中で「せっかく来たんだから、ちょっと遊ぶか。」と
ありえる鈴木氏と10ドル片手に遊んでみました。

2ドルから賭けれるルーレットに挑戦。基本的には赤か黒かを選び、
もっと倍率高くしたいなら、赤の3番に賭ける!みたいなのがルール。



まず自分は無難に赤に3ドルをかけてみたんですよ。

結果は・・・・






やった!!当たった!!当たった!!×3倍になるから9ドルや!!!
クリスマスの夜には貧乏人にも福が来るのか・・・と興奮した矢先に・・・

「おい!俺はこの金、赤に賭けてんだぞ!!」と中国人。
「いや~これは黒ですよ。。。」とディーラー。
「なんでだ!!ちゃんと賭けてるじゃないか!!責任者呼べ!!」と猛クレーム。

という会話がおそらく中国語で行われてました。
そしたら責任者が来て、、ヤーヤーギャーギャーいい合った末・・・







「ノーゲーム!!!」と責任者。

おい!!なんでやねん!!

よって誰にもリターンが支払われないことに・・・

しばくぞ!!!
と言いたいが中国語がわからず、しぶしぶやり直し。。

みんな「オ~ウ・・・」とため息をつき、
自分はワーキングプアの神もしくは貧乏神が国を超えてもなお
付いてきていることを実感しました。

「本当に言ったもん勝ち社会やな。」と賭けずに傍観していた
ありえる鈴木氏の総評。

こうやって我々は中国人に対してのイメージを悪くしていくのかもしれません。。

そして、チマチマやってもしゃあないと思い、10ドルからしか賭けれない
ブラックジャックに挑戦し、一撃でドボンし、一瞬でカジノ終了。

こうやってまた笑いのネタを1つ作れたことに、
僕の10ドルは価値があったのでしょう。


という悲しくも笑えるいい経験をして、我々のクリスマスは終わりを迎えました。



さて、話は変わって同じくクリスマスの夜に日本で川村という
無謀かつ勇敢な若者がダナンに来ることを決意表明しました。

「やっつ@ごちゃごちゃ」で検索すると見れます。

境遇としては自分とと同じく、新卒入社企業でリストラになった
素晴らしき経験をした人材です。



しかし彼から言わせると、僕ががリストラまでに歩んできた過程があまりにも
ハードかつ笑えるらしく、こいつには叶わねぇと衝撃を受けたようです。

これから自分たちの構想では日本語教育が盛んに行われ、
関空が直行便を飛ばし出す盛り上がるまであと2,3歩という
ダナンで日本人街を作り上げていきながら、自分たちと同じような経験をした
人たちが再挑戦する場ならびに救済場をつくっていこうと思います。

同じような経験とは、夢ややりたいことがあって仕事に就いたものの
能力的、経営的に困難でリストラなどの境遇にあうこと。

しかし、それを前向きに捉え、かつ半ばネタにして生きている若者が集い、
言葉もわからないし、何か特別な能力があるわけでもないけれど、
まだ自分の可能性に見切りをつけたくないと
思う人を支える場をつくりたいと思う。


まだ比較的低コストなベトナムで生きながら、経済が発展しつつある街で
サバイバル力を身につけ、今後何が起きてもどこでもやっていけるような
本当の生きる力を身につける場をつくる自分の想いと計画が川村氏が
来ることによって加速しそうな予感です。

これがあと2,3人増えると派遣村ならぬリストラ村みたいになって、
取材受けたりできるとおもろいな~。

ということで、宿泊先、仕事内容、渡航費などなど
トータルに相談乗れるので、karatsu.viet@gmail.comまで
ご興味あれば、ご相談ください!

ではよい年末を~。







2009年12月25日金曜日

豚丼とドリプラと友人と。

 久しぶりのブログです。


日本へ帰り、ドタバタの1週間でベトナムに戻って、
はや1週間といったところでしょうか。





もっとたくさんの時間があれば、もっといろんな人に会って
たくさん話がしたかったなぁ。。

今回会えなかった方々、連絡すらもできなかった方々、本当にすみません。


見捨てずに今後もお付き合いくださいませ。





さて、20日ぐらい放置したので、日本とベトナムの生活を
徒然なるままに振り返ってみます。



もう豚丼が高くて食べれません。。だって300円とか400円て
ベトナム帰ったら、2,3回飯食えるやん。。




ベトナムではエリート学生レベルの給料を頂いている私でも

日本に帰れば一瞬でワーキングプアです。



1ヶ月分の給料が5日間ぐらいでなくなりました。

もう日本には当分帰れません。。

アントレプレナーセンターが主催している
ドリームプランプレゼンテーションというイベントのお手伝いに行ってきました。

今後ベトナム国内や日本にいるベトナム人留学生でやろうという目的のため
どんなものなのかをまずは体験。



恥ずかしい話、5,6回ぐらい泣きました。それぐらいみんな一所懸命で
そして共感でき、心から応援したいと思うプレゼンテーションなのです。

感動と共感が人を動かす。そして感動と共感は
夢から生まれるものだと感じました。

このイベントは大賞になっても賞金は0。
しかし、あなたの夢を本気で応援したい一緒に叶えましょう!と言ってくれる
仲間と支援者が何十人、何百人と見つかることはお金に代え難い価値だと思う。

なんとパンフレットにもベトナム計画中と出てるのです。。
恐るべし事務局。。いい出会いもあり、ドリプラの皆様、
素晴らしい体験を本当にありがとうございました。




今回東京滞在中にずっとお世話になった川村家。

川村氏は自分と同じように新卒で入った会社でリストラになり、
自分への再挑戦・修行のため、この度晴れてベトナム行きが決定した
海外インターン第2号?(1号なのかな?)です。

そんな彼の家は弟と2人暮らしをしていたので、とても広い。
その家も今月に解約することになり、彼の学生時代の友人が集まり、
自分も参加させて頂き、お別れパーティー中に隠れて写真撮影。


10人以上の友人が集まり、もうかれこれ5年、6年の付き合いになるんだとか。
そんな彼らのやりとりや会話を聞いていて、
「やっぱり人とのつながりがなによりの財産やな。」と物思いにふけっていました。

冒頭でみんなに会えなかったこと、連絡ができなかったことを
お詫びしているのもここでの集まりを見て、
「今自分は完全に今までの財産を自分で潰そうしているなぁ。」
と感じたためです。


ベトナムの生活は楽しいし、新たな出会いもとても刺激的です。
意識的に情報を入れなければ、日本で今何が起こっているかなんて
すぐ忘れてしまいます。

それと同じような日本でお世話になった人たちのことも
忘れてしまいそうになるのです。

でも、たとえニュースや日本の習慣、常識を忘れてしまったとしても、
自分とお付き合いしてくれた人達のことは忘れてはいけないし、
途切れさせてはいけない。

彼らには、お世話と迷惑をかけっぱなしであり、
まだ自分は彼らに何も返していない。


定期的に日本に戻れるように頑張らないかんなぁ。

自分のため、ベトナムでの仕事に関連した人のためだけに働くのではなく、
日本にいる家族や友人のためにも働く。

そんなとても大切なことに気づかせてくれた川村家パーティでした。

日本のことばっかで終わってしまった。。

また振り返りの続き書きます~。





2009年12月2日水曜日

日本に一時帰国します。

急きょ日本に帰国することになりました。
期間は12月9日から約1週間の予定です。

ビザの追加申請ができん!!ということで、帰ることに。
こんな寒い時期に日本に帰るなんて・・・

しかも1週間じゃ関西には帰れんなぁ。

てことでかなりノープランです。

東京近辺の方で泊めて頂ける方、一緒に時間を潰してくれる方、大歓迎です。
ぜひご連絡くださいませ。

あっなんか買ってほしいものがあるならそれも相談のります。

ベトナムの話はたくさんできると思います。
てかそれしかできません。

あとは就活と転職の話ぐらいかなぁ~。
就活、転職についてはプロフィールをご参考にしてくださいませ。

ワーキングプアな人生を歩んできているんで、
成功経験を語ることはほとんどできないけど、個人的に就活、
転職において何が大切で何が見られ評価されているかということを
経験談として語ることはたくさんできるかな。

しかし、できれば1年ぐらい経ってから日本に帰りたかったなぁ。

もっとベトナムの生活習慣に馴染んだ自分が改めて、
「日本」という国を見たときに何を感じるかにとても興味があった。

ベトナムと比べてどんなことがすごいと思い、どんなことがおかしいと思うだろう?

半年で帰ることにはなってしまった自体は不本意だが、楽しみ楽しみ。

充実した1週間にしよう。


2009年11月29日日曜日

学生・若者支援プランINダナン~藤沢烈さんと会いました。~

 昨日と本日、藤沢烈さんにお会いすることができました。

どのような人かというのはこちらから~。

簡単に言うと・・・
バー経営→マッキンゼー就職→起業という流れで
メディアにも多数登場されている方です。
1億円投資プロジェクトなるものを手がけたこともあるようです。

ありえる鈴木氏がかなり前からの知り合いで
中国・タイ・カンボジア・
ベトナム・シンガポールなどアジアを回る中で
今回ダナンにも視察に来られました。

二人乗りの写真をパシャリ。


藤沢さんはこれから海外で起業する若者を
増やしていきたいということで、
ダナンでのビジネスの可能性と若者を受け入れてくれる
受け皿となるようなところはあるかということを視察目的に
ベトナム企業と外務局を訪問。

スタート段階ではベトナム企業が日本への営業活動をするときの
パイプ役になることやホテルなどでのスタッフなどからでの
海外インターン的な感じが1番入りやすいだろう。

それがある一定期間終わった後に、本格的に起業するための
ビジネスプランや資金調達までを藤沢さんやHRIが支援。

就職率の悪化と無言の閉塞感が漂う日本でくすぶるのではなく、
海外へ飛び出し、挑戦するきっかけを提供そして、
実現までサポートという実に興味深い話でした。

もともと、自分も若い世代に対して、働くことへの価値観が
変わるきっかけをインターンシップを通じて経験してほしいという
思いがあったので、こういった話はワクワクする。

急きょベトナムへぶっ飛んで、もうああいった
仕事はできないかなぁと思っていましたが、
ひょんなところからいい機会が巡ってきました。

この機会を逃さず、掴みたいと思う。

海外にいながら言葉もろくにできず、
プランもなく、勢いととにかくやってみるという気持ちできた自分。

そんな自分でもやりゃできるんだという証明をしてみせることで
他の人の後押しをする。それが自分の存在価値になると思うのだ。

昨日ボーっとしてたら、ふと自分が「なんでこんなことやってんだ?」という
原点を思い出すことができ、今日たまたま怒られることもあり、
さらに自分の今後を考えさえられる機会もあった。

運と縁とタイミング。
そして自分を信じ、同時に信じてついていく人も決める。

ベトナム行き決断の時と同じような感覚が少しだけする。

できるできないじゃなく、やるかやらないか。
やりたいと思えるかどうか。

迷いがありながらも心動かされるものがあるなら、
その心の声に従おう。楽しいと思えるがどうかが
自分の1番の判断・行動基準だと思うから。

まずは海外インターン導入の前段階として、
ホーチミン・ダナンの起業家やマーケットの可能性を感じる
ツアー企画を学生・若者向けにやってみたいと思う。

ビジネス・旅行・スタディ。3つの視点のどこから見ても
おもろいもんを作ってやろうと思います。


日本ってなんだ?

今日は夜にベトナム人の学生たちその他いろいろに誘われ、

ダナン外国語大学の学生が外国語の歌を

歌うコンサートがあるということで行ってきました。



おそらく人は推定2000人。

結構多し。



ロシア、中国、韓国、英語、タイなど聞いてて

どの言葉か全くわからんが、とにかくいろいろです。



で、その中で日本の歌も登場したのですが、

歌った曲は「Amazing kiss」。



だれの歌?知らん。。。

ということで家に帰りyoutubeで検索。



ありました「Amazing kiss」


・・・BoAやん!!!



なぜこんな日本人でも知らんような曲を歌う??

結構前の曲やぞ!



しかも英語入りまくりやん!

てかそもそもBoA日本人じゃないやん!!



といろいろ突っ込みを入れたくなったコンサートですが、

日本ってなんでしょうね?と考えさせられたBoaでした。



少なくとも、今日来ていた2000人の人たちには、

今日の音楽が日本だということを多少なりとも印象づけたと思う。



だからといって、もし自分が日本の文化や日本の歌はこれだ!!って

伝えるなら、着物を着て演歌だ!!と言えるかと言ったら

ちょっと躊躇する。



BoAのような曲が流行っているのも事実だし、だからと言って

外国に来て、演歌を自分が紹介できるかといったら

演歌なんて歌ったこともないし、好きでもない。



古き良き伝統ある日本の文化と流行の先端をいくポップな日本。



どちらも日本だけど、日本という国を説明するときに、

その多様さを改めて感じる。



京都、奈良、広島、富士山、舞妓、演歌・・・

秋葉原、渋谷、アニメ、マンガ・・・



日本ってどんな国ですか?を事細かに説明してみようとすると

よくわからなくなりそう。かなり奥深いような気がする。


この先、外国人から見て、「日本らしい」とは、
京都のようなことをいうのか、秋葉原のようなことをいうのか、
どっちになるのだろうか・・・


他国を知ることで日本を知るということ。

日本とはどんな国なのかということ。



これはベトナムに来てから非常に興味深くなったテーマです。



とりあえず今日のところはせめてJポップでも

日本語だけの歌がもっと流行ってほしいなと思いました。





2009年11月23日月曜日

勤労感謝の日も稼働中

  「今日、日本はは勤労感謝の日ですか?」



日本人の僕が知らず、ベトナム人スタッフから

そう聞かれ、その事実を知りました。



どっちが日本人なんだか・・・

勤労感謝の日にベトナムで働く自分。なんか複雑。



ほんとにベトナム祝日少なすぎです。

聞いた話によると10日間あるかないかぐらいです。

そして、基本こっちは週6で仕事しています。



だがしかし、みんな5時で帰ります。



めちゃめちゃ早朝シフトにしてる会社は朝6時出社の14時終了にしてるらしい。



そして最近自分の会社に入社したベトナム人スタッフは今日、



「報告があります。月・水・金は社交ダンスに行くので、

��7:30で帰ります。」



という宣言をしました。素敵過ぎます。



東京にいる頃は朝から終電近くまで働き、休みの日も会社に行き

本当に仕事一色って感じでした。



それでも自分はその仕事が好きだったし、苦ではなく、

楽しくやれていたことがなによりの救いだったと思います。



働くことがおもろいやんって思える世の中づくりや教育には

今も変わらず強い関心はあります。



でもベトナムに来て思うのは、それは人生を豊かに生きる1つの手段で

あってそれが全てになってはいけないと思い始める今日この頃です。











家族との時間、恋人、友人、趣味やプライベートの時間を楽しむ。



日本でずっと生きていたら見失いそうなものが

ここにはたくさんあるような気がします。



仕事のためだけに自分の人生を生きていてはいけない気がする。



もちろん仕事を頑張るのは、その先に夢があって、

恋人がいて、家族がいて、背負ってるものがたくさんあるからこそ

仕事をするのだと思う。



ただ、ここで言いたいのは頑張り過ぎるなということ。

無理してないか?ということ。



人生において、何かを得るために犠牲や代償を払う時期があると思う。



でも元に戻らない、取り返しのつかないところまでいかないよう

常にバランスをとるってことは大事だと思う。



それは例えば自分でいうならば、日本にいる家族や友人だろう。



東京行って、次ベトナム行って、かなり好き勝手やらしてもらい、

楽しんではいるが特に家族のことを

考えるとこのままでいいのだろうかとはよく思う。



それもやはりベトナムの人たちが家族を大切にしているのを

目の当たりにしているからだろう。



きっと日本にいたままだったら、仕事が楽しけりゃオールOK!

みたいな人間を目指したいたと思うのだが、
ここに来て状況が少し変わってきた。



きっと考えたいことはワークライフバランスっていうんだろうけど、

これを機会に、また新たに自分の考えを更新していこうと思う。



あれこれ考えて、気づけば勤労感謝の日は終了してたわ。



ベトナムで今日も働けていることにまずは感謝。


2009年11月22日日曜日

就活対策。3つを磨け。

数日前ヤフーのニュースを見ていたら就職活動は大変なことになっているようだ。

2010年春卒業予定の大学生の就職内定率(10月1日時点)は
62.5%で2003年頃の就職氷河期と呼ばれた頃に匹敵


はてさてこの就職できなかった人たちは
この先どこへ行くのだろうか??

キャリアカウンセラーやジョブサポーターはどのようなアドバイスをするのだろう?

考えられる選択肢は以下じゃないかな。
1.派遣社員
2.新卒紹介サービス
3.アルバイト・フリーターで卒業
4.大学院進学
5.資格取得・スクール通い
6.起業
7.海外留学
8.就職浪人

だいたい1.3.5ぐらいで落ち着くんだろうな。
8を選んで大学に留まる人がどれぐらいいるのかも気になるところだ。

2の新卒紹介はいい会社があればおすすめできる。

5や7は景気のほとぼりが冷めるまでの時間稼ぎとしては
いいかもしれないが、それで本当に就職先がその先
見つかるかどうかはどこにも保証されていない。

2003年時に起こった就職氷河期では卒業時の経歴として
正社員でなかったことがネックとなり、以来アルバイトや
派遣から抜け出せないということも起こっていたようだ。

ただ、、少しずつ時代は変わり、もう今は正社員であることが
価値になる時代ではないだろう。

1.自分を雇えばこれだけの利益が出るという証明と実績。
2.そしてここで働きたい理由と意欲。

のポイントを押さえていればいつでもどこでも大丈夫ではないだろうか。

特に1をどれだけ磨けるかがポイントとなる。

その場合に具体的に磨くポイントは・・・

1.主体的に考え行動すること
2.目に見える結果・アウトプットがあること・利益が生まれること
3.仮説と検証。予測と振り返り、改善のサイクルがあること。

の3点を押さえていればOKだと思う。

書いてみると、とても簡単な感じがするが
以外に達成されないものだと思う。

金沢工業大学をはじめとする理系の就職率の高さには
特に3の仮説検証があるのではないかと思う。

そして理系に不足しがちな会話・対話力も教育熱心な研究者・講師陣と
県内・県外企業との交流が補っているのかもしれない。


元々、理系学生ということで企業側からの需要は多いだろうし
就職に有利ということもあるだろう。

それに付け加えて実験などから培われる過程と結果の記録。
そこから振り返り、新たな仮説を立て再実行。

このサイクルそのものが仕事においても
まさしく重要な考え方なんだよ!!!

とよく生活保護者であり上司のありえる鈴木氏は言っています。

場所に捉われずに学ぶ中身、鍛えるべきは何かを考え、
その目的にそった道を選び、
あとは厳しい環境の中に身を投じることだろう。

やりたいことや夢。それももちろん必要だと思う。

しかし、いくら夢を語れてもそれを実現に向かわせるために
どうするのか、何をやるのかを描けることが企業就職では必要だろう。

これから就職活動する人、今行き詰っている人に伝えたい。

やりたいことをやるという仕事選び、人生選びを多くしてきた
20代前半の僕たちは今後少しシビアに自分は何ができる人間か?
どんな価値を生み出せる人間か?どんなメリットを提供できるか?
を自問自答していかなくてはいけない。




2009年11月19日木曜日

「人生に疲れた人へ・・・」から原点へ

ベトナムに来て、5か月が過ぎ、なんやかんやで
慌ただしい毎日を送る中、2時間ほど現実逃避をするために
youtubeに没頭。

スティーブジョブス
から始まり、

奮い立たせてくれる言葉とかに入り込み、
いつの間にか人生に疲れた人へ・・・まで
入り込んで今までの人生を振り返っていました。。

あぶねぇあぶねぇ・・・なんか深みにはまりそうになりました・・・

「死にたいというあなたへ・・・」はクリックせずに正気に戻りました。

次のおすすめ動画を何気なくクリックしてただけやのに。。
なんか変な導線が仕掛けられてるなyoutube。

という流れの中で気付いたことは
やっぱり自分のやりたいことは人それぞれの「生き方」を
聞いて、共有して、受け入れて、理解して、
十人十色の人生でオールOKということを自分がまず学び、
それをより多くの人と共有することだと思った。

そしてそれを通じて、世に心の大富豪を増やすことだろう。笑

ぱっとひらめいた言葉なので、説明すると
心の大富豪とは・・・


自分を信じ、自分を愛し、
人を喜ばせるし、楽しませる。

お金は貸せないかもしれないが、
力を貸してくれるし、勇気をくれる。
知恵も与えられたらもっと素晴らしい。

そして、どんな環境でも人生を楽しめる。
めげない。へこたれない。
辛さや逆境を楽しさや笑いに変える。

成功と失敗、強いか弱いか
勝つか負けるか、進むか止まるか、
有能・無能などの相反する2軸において、
「良い悪い」の評価をせず、
全てに価値を見出す大きな心をもつ。


お金は誰にでも備わるものではないが、
心は誰にでも備わっていて、
自分の気持ち1つで変えられるものだと思うのです。

そのために
他者理解・自信・自己肯定・自己効力感・自己愛
などが必要ではないかと思うからどんな生き方・在り方でも
オールOKの心をまず持つことが必要だと思うのです。

そんな心の大富豪が増えることで・・・
他人の人生を生きることなく、固定観念や世間の声に縛られず
自分の心の声を信じて行動し、生きられる人が増えると考えます。

そしてさらに・・・そんな人が増えることで
より自由な発想と活動が世界中に広がり、
笑いとワクワクが増え、相互支援が行われ、
無理せず自分らしく社会に貢献できる人が増えると考えます。


とまぁ広がりましたが、
まずは毎日を面白おかしくたくましく生きることから始めよう。ってことであり、
それに慣れてきたら、自分の周りにもそんな人増やして行って、
それが世の中の役に立ってたらさらにええよなって話です。

なぜ新卒でインターンシップ紹介の仕事に就いたのか、
なぜベトナムまで来たのか、たまたまですがなぜHRの仕事をしているのか、
全ては多種多様な人の生き方と在り方への興味関心だったと思います。

そして自分自身がこんな生き方もできるんだよという一例になることで
「俺もやってみっか。。」と周りを勇気づける存在になりたいということが
原点だったと思います。

原点を思い返したところで、12時過ぎました。

有意義ではあったが、やるべき仕事進まず・・・
まっそんな日もOKか。

これが心の大富豪の生き方への一歩かな。




2009年11月15日日曜日

ミラクル五行山ツアー

先週の日曜日はダナンのおすすめスポットの五行山へ行ってきました。





5つの山からなり、大理石できていることから


マーブルマウンテンとも呼ばれるそうです。





旅行で来てくれた浅田さんが登ってみたいということもあり、


あんまり日本語話せないけど最近知り合った1人のベトナム人に


「一緒に登る?」とメール送ったら、「友達も一緒にいい?」ということになり、、









・・・お前らだれやねん!!
と突っ込まずにはいられないぐらい友達連れて来ました。

これ全員参加者です。。30分前までは6名ぐらいの予定でした。。



友達が友達を巻き込み、勢いで来た人、

よくわからず連れて来られた人などなど。以下参加者ステータスです。



年齢:20歳~60歳オーバー

国籍:日本人8名、ベトナム人11名、ノルウェー人1名

職業:大学生、旅行者、JICA、たまたま来ている出張者、仕事



ここにいる半分以上はこの日初めて出会いました。。



恐るべし口コミ力のベトナム人ネットワークによって総勢20名の

バラエティに富びまくったミラクル五行山ツアーのスタートです。









五行山は洞窟になっている箇所が多くあり、そこから入る日差しが

いい雰囲気を出していて心地よい。



洞窟の中はとても涼しかったし、快適やったね。






ちょっとわかりづらいかもしれんけど、黒くなっている
突起物のような岩があって、それを触ると子宝に恵まれるようで
平均年齢20代前半のパーティーはキャーキャー騒ぎでした。



かなりフラッシュ使っているので、ちゃんと先が見えますが、
実際は本当に真っ暗で先が見えない崖の中を
登って頂上に行こうとしている最中です。

「えっこれ行けるの・・?」って感じでちょっと焦ります。

めっちゃ道狭いし、岩もツルツルしてるし、結構斜面の角度あるときあるし、
全く前見えへんし、かなりアドベンチャー度が高くて、
高齢者への配慮・安心・安全性全くありません。笑

また動画をそのうちコミュニティでアップしよう。
そして、ここを登って、頂上に行くときれーな景色があるんですよ。






街が一望できて、海も見えて、大変な道を登ってきたから
より一層気持ちがいい。これでチケット15000ドンなんて素晴らしすぎる。。。

景色をご満悦してさて帰るか~となってどんどん下って行こうとしたら
ベトナム人の女の子に秘密スポットがあると連れられ、大仏さんの所へ・・・



この大仏さんの後ろに、
もう一人大仏さんが寝転がっているんです。。
ちょっと足っぽいのが見えてるのわかりますかね?



よじ登って見てみると、こんな感じで裏に寝転がってるんですわ。

もともとこの大仏が最初に置いてあって、
その後にちゃんと座ってる大仏が置かれて、撤去する予定だったのが
そのまま忘れられているんだ~みたいなことを言っていたと思います。

でも私の英語理解力が乏しいため、ほとんど聞き取れず、
この情報はあまり参考にしないように。。

他にもたくさん多分回れるスポットありました。
危険度高すぎて登るのを断念した崖もありましたしね。


何はともあれ大勢いると無条件に楽しい。
わけわかんないし、全く集団行動できてないけど、とにかく楽しい。
今回は数のパワーに気付かされました。

それと、とりあえず楽しそうだから来てしまうベトナム人のフットワークと
勢いが素敵でした。ベトナム人同士はもちろん、日本人も
初めての人が多かったけど、短い時間でいろんなつながりができたと思う。

五行山ツアー企画として、登山日までに

旅行中に友達何人呼んでこれるかな企画は面白いかもしれないなぁ。

来てくれた方々、ミラクルな体験をありがとうございました。




2009年11月5日木曜日

ビアーな日々

 最近スタディツアーとして、日本の大学生がダナンにやってきました。

そして、前にダナンへ来ていた学生に「カラツさんってどんな人?」
という質問をしたところ、
「いつもビール飲んでる人。」という答えが返ってきたようです。。

今までの人生で一度しかお酒を飲みたいと思ったことがない私が
のんべえに見られてるとは・・・環境が人を変えるとはよく言ったものです。。

しかし、最近を振り返ってみると本当によくお酒飲んでます。




まずは毎度お世話になっているEENAHOTELで日本料理パーティ。
ダナンには数店舗日本料理屋があるのですが、
日本人がやっているお店はないのです。

そして、結構高いんやわ~。。

この日のお昼はダナンの日本料理屋の店で
1番高いところで昼飯食べましたが、1人なんと30ドル!!!!

日本で仕事していた頃にはワーキングプアだった私には信じられません。。
すき屋で豚丼並か大盛りかで悩んでいた頃が懐かしい。。

というような額が全てではないですが、基本日本料理屋は高い。
こんな額ではもちろん一般のベトナム人は来れないので、
より交流する機会が減ってしまう。

そこで、「安く日本料理が食べれて×日本人と交流できて×日本人が作ってる」
というコンセプトでいけば、ダナンの日本料理マーケットでは
まだないポジションでっせ!とマトリックスを用いて提案したところ、
いっちょやってみっか!とEENAHOTEL。

ベトナム人も来たし、日本人も来たし、2歳児3歳児までやってきました。
いや~こういう機会で人の輪をもっと広げて行きたいね。

そして、この日はビール、ワイン、焼酎でした・・・





それから3日後GVFのVinhさんを囲んで
12月のワークショップの打ち合わせ。

のはずがただの飲み会で終わりました。。
ただ日本人ベトナム人ともに20代比率の高い集まりだったので、
とても若~い雰囲気で心地よかったなぁ。

写真はスタディツアーで来た浅田さんが無茶ぶりによって
紙芝居をアドリブでやってる図。

しかし、即興でも上手にこなすその適応能力に自分は密かに感動。

どんなことでも「やってみい」と言われたときに「ムリムリ~」という人と
「とにかくやってみます!」の2つに大きく分かれると思うのですが、
すぐやれる人っていいなと思いました。

もちろん時と場合によって何事も変わるし、いったん立ち止まることにも
よさはあるのですが、さっと動くあのフットワークの軽さが気持ちがいい。

すぐに動くことって場の空気をとてもよくしてくれる。

としみじみ考えながら、気づけばこの日もビールを3本ぐらい。。

で、昨日のお昼には日系企業の飲み会に誘われ、とどめに今日はお昼から
日本に何百名も留学生を送り出しているドンズー留学生会の方々とビール。。

楽しいんです。めっちゃ楽しいんですけど、、僕酒弱いんです。
しゃっくりが2日、3日続くときあるんです。。呼吸困難になるんです。。

早くお酒に強くなりたいな。。

2009年10月29日木曜日

ええ街ホイアン PART2

続いて後半です。

JICAの福原さんが市場でオーダーの靴を注文するというので、
それはかなり興味深い!ということで一緒に同行。

前にサンダルをオーダーしたこともあり、
スタスタと軽快に市場の中を通り過ぎ、お店へ到着。

流れとしては・・・
1.カタログや写真を見て希望の色、形などをオーダー
2.その次に今お店にある素材で一番最適なものを選ぶ
3.約1日で完成(はやっっ!!ただそうは言ってもルーズなのでご用心・・・)

という流れのようです。
なので、本当に全て何から何までオーダーというわけではないけれど、
ほぼほぼ自分の希望に近い形にまで仕上げてくれるそうです。

下は料金交渉中の写真。




最初は20万ドンって言ってたのに、
高い素材を選んだから30万ドンということになり、
自分たちはそれはねーだろーと外野からブーブー言いながら
福原さんはベトナム語・英語で料金交渉。

結果25万ドンということでおさまりました。

まぁそれでもかなり安いと思うけどね。

という貴重な場面に立ち会わせて頂き、
そろそろ帰りますか~と思ったら、
「コンニチハー!!!」とめちゃめちゃでかい声で
思い切ったオカマの兄ちゃんが突撃してきました。

名前はHANAちゃんというようです。
帰りにメールアドレスを渡され、そこにHANACHANと書かれてありました。



事前に福原さん福井さんの情報で、
「100人見たら100人がこの人はオカマだって答える思い切った
オカマがこの街にはいる。」という話は聞いていたが、
それは言い過ぎやろ~と内心思っていました。

しかし、これは本当に自分の予想を遥かに超えた思い切ったオカマでした。
写真ではその思い切った感が最大限伝えきれず、残念です・・・

いや~笑った笑った。

どうやら自分の来ている花柄の服を売り込みたいようで、
自分の店に来てくれとしきりに言ってました。

てかこのオカマの方をはじめ、市場を歩いていると「アサコー」と
福原さんの名前を呼ぶベトナム人がちょくちょくいるのです。

福原さんはホイアンに来て5、6か月ですが
現地の人たちの生活の中に自然と溶け込んでいて
声をかけてもらったり、覚えてもらったりしていました。

そういったその土地に馴染む生き方、暮らし方というのが
個人的にもとても好きですし、それこそ海外で生活しているって感じがします。

いや~これが道端の女王と呼ばれる所以なんですね。

自分もダナンではまだまだ市場には進出することが少ないので、
今後市場に限らずもっといろんなところに足を運んでいこうと思います。


という風情を楽しみ、飯とカフェを楽しみ、
ショッピングと人との交流、ハプニングありーのの盛りだくさんな
電動自転車でホイアンぶらり旅でした。

とても楽しかったので、ブログのサイドバーでホイアンの写真を
スライドでアップすることにしました。
自動的に切り替わるので、ご覧ください。

ちなみにこれ利用してます。
PIXIE

今後、ホイアンに行くたびに増やしていこうと思います。
ダナンシリーズもそのうち作ろう。

カヤックはええもん作ってくれるな~。



2009年10月27日火曜日

ええ街ホイアン PART1


 ダナンからバスで1時間半ぐらいのところにホイアンという街があります。

そこの街並みは世界遺産にも指定されていて、
昔は貿易都市として栄えた歴史もあり、様々な外国人が住み、
日本人町もあったそうな。

また華僑も多く住んでいたことから、中華チックな雰囲気もあり、
かつ洋風で洒落た雰囲気もありーので、とにかく雰囲気がいいのです。

いつか住みて~。

ということで日曜日は京大の院生中村さんと一緒に
電動自転車でダナンから約35キロほど離れたホイアンへ行ってきました。

街に着くまでの田園風景もまたええんだわ~。
下の写真は玉置浩二を歌いながら撮影。

しかも最近のベトナムは涼しくていい天気で快適なのですよ。



意外に早く1時間半ぐらいで到着。バスとほぼ同じやな。

ホイアンに着いてからはJICAで来ている福原さん福井さん(漢字あってるかな?)、
日本に2年留学して、今まで会ったベトナム人の中で
1番日本人そっくりなYenさんとホワイトローズを食す。

ギョーザに似た感じなんやが、
ちょっと甘酸っぱいタレにつけて食べるのがこれまた美味いんやわ~。

Yenさんに集合場所の住所言っただけやのに、「ああ、ホワイトローズ食べるんだ。」
とわかるぐらい地元人でも有名店やったようです。



カオラウっていう麺と揚げワンタンとこのホワイトローズがホイアン3大名物やったかな?

そして、そのあとは世界遺産指定されている
旧市街地近辺のおしゃれカフェへ。




こんな感じの街並みで周りにいるのは
観光やロングステイで来ている欧米人だらけ。



これがカフェなんですが、写真に写ってる人は全員欧米人。
そんなお店はここ以外にもたくさんある。

外国人旅行者はピーク時期には1日でホイアンに
4000~5000人ほどがホテルに宿泊してるみたい。

かなり小さい街なのにそれだけ入ればたいしたもんだと思う。

でもベトナム全体の旅行者は確か年間350万~400万人ぐらいって
聞いたことがあるから全体からみるとやはりハノイ、ホーチミンへの
旅行者がまだまだ多いんだろうな。

でもでも中部はミーソン遺跡、フエなどの世界遺産や
ダナン~ホイアンの海、戦争跡地、枯葉剤施設、孤児院などの
歴史を知る場所としても魅力はたくさんいっぱいある。

ボランティアやスタディツアーにしたら学ぶものがたくさんあると思う。

ダナンでは次々とホテル開発が行われている最中だし、
今日も近所でこぎれいな麺のお店が新しくできていた。

これからのベトナム中部の発展と成長の中にいれるのはとても楽しみだ。
頑張ろうベトナム中部!




ということで長くなったから、後半書きます。





2009年10月24日土曜日

ベトナム飛び込み営業体験記INダナン

最近社内で、もっとベトナム企業と出会わないかん!!
という話になっていて、営業強化中です。

現在は研修や在ダナン日系企業経営者のセミナーや
ウェブサイト、本を通じて日本企業とビジネスマッチングの
話などをもちかけている最中です。

しかし、当然私たちベトナム語話せなくて、さらに自分は英語も
ほとんど話せなくてベトナム人スタッフに頼るしか術がないわけです。。

だがしかし、たった1人のベトナム人も忙しいわけで
誰か手伝ってくれる人を雇おう!という話になり、
雇ったはいいものの、2日でトータル5時間勤務で辞めてしまい、
最期の手段は我輩の玉砕覚悟の飛び込み営業となったわけです。

日本にいた頃も人材紹介・派遣の会社に勤めていたのに
なぜか去年のこの時期は営業会社に放り込まれて
東京の杉並・練馬で光回線を売り歩いて地デジトークをしてたなぁ・・・

あれから1年経って今はベトナムで飛び込み営業・・・
来年の10月は脱飛び込み営業目指します。


ということで本題ですが、まずはこんなきれいなところから
スタートしてみました。一応5つ星ホテルの中のオフィスやで~。

外資っぽいのが多いな~。いざ突撃!!





と行きたいところですが、ビビって行けません。。

だって言葉わかんねーし・・・怖いですやん・・・

「トイテンラーカラツー」みたいな自分の自己紹介と
主旨を説明するベトナム語の紙や資料は持ってるが、
9階のフロアで会社の中をチラチラ覗いてウロウロすること10分。

次第に不審者の目で見られるようになり、
ずっと僕の行動を監視しているベトナム人の存在に自分も気づき、
これ以上ウロウロしたら警察行きになる・・・
もう後戻りはできん・・・・




行く先はこのドアの向こうしかありません・・・

でや!!

 
 
・・・・・・・

 


「まあ座って座って~。」

「あなた何人?日本人なの!?ベトナム人そっくりね~。
しゃべらないからこっちがびっくりしたわよ~。」

「彼女いるの~?」

「あ~これ書いたらいいのね~OKOK。」


めちゃフレンドリーな対応でした。

全く通じないベトナム語を駆使して主旨説明の紙を見せて
ある程度理解してくれて、英語もわかる人もいて、
上記のような会話をして帰りました。

なんて優しいんだ。。

その後も何件か行きましたが、
基本的に座れるところまで案内してくれて話を聞いてくれて
最期は握手で締めて終了といった流れです。

実際にアポがとれたところもありました。


素晴らしいところですねベトナムは!!

という感動をベトナム人スタッフに伝えたら
「それは外国人が珍しいからですね~。ベトナム人がやったら無視されます。」
とあっさりさばかれました。

さらに飛び込み営業という習慣もほとんどないようで、
どう対応していいかわからんということも重なって
外国人だから許されることだというスタッフの見解でした。

おっしゃるとおりでございます。。

なにはともあれ、人の優しさを感じれるいい体験でした。

また、これがちゃんと成果につながれば言葉が話せなくても
海外でできることはあるという1つの証明にもなるでしょう。

まぁいきなり行くってのは迷惑でもあるし、
いつまでもこれをしててはいけないですが、今後もやっていこうと思います。




2009年10月9日金曜日

ホムナイ シンニャ!!


ベトナム語だと・・・hom nay la sinh nhat!
でいいのかな?

今日は誕生日!という意味です。

日本では日付変わっていると思いますが、
今日はついに24歳の誕生日だったのです!!

昨日は僕の前職の先輩であるアサノを囲む会があったので、
参加者には僕が明日誕生日だということが事前に知れ渡ったこともあり
いろんな人からメール届きました。

本当にありがたいことです。

しかし、中にはこんなメールも・・・


うんうん。ありがとう。

ここまではええねん。
その続きで・・・・kotoshiと続きます。



・・・25歳の誕生日にはこのようなメールが
送られてこないようにkanojoゲットに全力を尽くします。

そういえば振り返るとリアルに誕生日の時には
いつもkanojoがいないような・・・

去年は東京ドームで誕生日を過ごしましたが、
まさか今年はダナンでベトナム人の皆様や日本人の皆様に祝ってもらえるなんて
1年でえらくぶっとんだ転職をしたものです・・・・

来年もどこにいるかはわかりませんが、できることなら
次の誕生日もここでまたみんなに祝ってもらえている
自分でいれたらいいなと思います。

本当にありがとうございました。


2009年10月7日水曜日

ホウレンソウが甘い理由

今、前職の先輩がまたもやベトナムに来ています。
現在ホーチミンにいるですが、何をやっているか連絡がない・・・

不安・・・

というのもいろんな人を紹介しているのです。

その人とどうなったんだろう?
ええ話になったのだろうか?

などのようなことが気になるのです。


このとき、ふと報告・連絡・相談と同じ、
上司と部下のコミュニケーションと同じやなぁと気づかされました。

ダナンという狭い人間社会、さらにベトナムの特徴かもしれない
噂話による情報伝達力の強さから、もっと言うと居候させてもらっている
生活保護者から上記のようなことはよく学ばされます。

自分が日本で仕事していた時と比べて進歩したことの1つに
この報告・連絡・相談に多少気をつかうようになったということが
1つ挙げられます。


ただ、まだまだ甘いんですわ。
ホウ・レン・ソウが。

というより、ホウ・レン・ソウをしなくちゃ!と思う基準が低いと思うのです。
できないんじゃなくて、別にやらんでもええやろ~なのです。

そうなってしまう原因は多々あると思うのですが、


①ホウ・レン・ソウの重要性がわからない→どんな効果・メリットがあるかわからない
②人が自分のことを気になっているということを意識していない
③自分基準でまあ言わなくてもOKだろうと思えば、言わない。
④付き合う人が自分の気の合う人達だけで限定されている。
⑤自分と違う・合わないは排除してしまう。受け入れない。


といろいろありますが、とにかく、一言でいうと
「もし相手側だったらどう思うだろう?」のイメージが弱いと思うのです。

そのイメージができない、やらない、弱いから自分基準から抜け出せない。
抜け出せないから別にええやろ~からも抜け出せないというサイクルです。

ここから抜け出すためには自分と違う基準を持っている人に
出会う必要があります。

自分と違う基準を持った人間と接することで、
自分の頭の中に自分とは違う人間の基準を増やすことが大切だと思うのです。

それが積み重なっていくと「もし相手側だったらどう思うだろう?」の思考が
習慣化し、深く、鮮明にイメージできるようになっていくと思うのです。


自分がここの基準に触れた気づきとしては、
人から誰か知人の紹介を受けたとき、事後報告をしないと怒るのです。

なんて恩義のない奴だと思われるのです。

まぁ今になって思うと、おそらくどこでもそうだと思うのですが、
1つの例として・・・

ただ、自分の気の合う人、好きな人、落ち着く環境に留まっていては
このようなことがわからない可能性は大いにあると思います。

少なくとも自分は自分の基準の中では、
そんなん別に報告せんでもええやろ~の基準だったのです。


という前職の先輩からの連絡がなく、
自分が報告を待つ立場になって、初めてホウ・レン・ソウの
重要さ、大切さを感じている今日この頃です。


自分の当たり前が当たり前じゃない社会の中で生きることは
非常に視野が広がり、気づきが多くなれると思います。

もちろんそれが窮屈なこともありますが、
それこそが社会の中で生き、変化に応じる力をつけ、
生きる力を身につけていくということにも繋がるような気がしてます。

自分の意志1つで自分を変えようとするよりも、
生きる環境を変えることによって、自分を変えようとすることの方が
より効果的だなぁと感じています。

人が人を育てるのではなく、環境が人を育ててくれるとはよく言ったものですな。


食べ物ネタを期待して読んだ人失礼しました。





2009年10月4日日曜日

5万ドン頂きました!!

実は9月ぐらいから日本語が話せるベトナム人とダナンを中心とした
中部在住日本人を集めたビジネス勉強会・日本語交流会を実施しています。

昨日で4回目だったのですが、ついに昨日は有料で実施したのです。
結果は4人来てくれて合計5万ドン頂きました。

初回の人は無料にしているので、2人が有料で参加。

ちなみに日本円にすると、約250円~300円というところでしょうか。

1万円はだいたい190万ドンになります。
僕の計算方法は0を2つとって、そこから60%です。

いろいろ人によって、計算方法も変わり
50%だという人もいますので、そのあたりはどんぶり勘定でご勘弁。

まぁつまり日本円にすると、有料と言いながらも激安ですな。

そしてそこから私の今回取り分は・・・


2万ドン。

爆安ですな。

しかもそのあと1万ドンのビール2本飲んだから0。

本当に僕のこのワーキングプアーとしての
才能はどこから来ているのでしょうか・・・


しかし、今ダナンで展開している日本語塾なども
月謝制ですが、1回の授業まで落とし込んでみると
大体2万ドン~3万ドンだと言われています。

なので、現地基準からすると決して安くはない料金。

しかもこんな若造が開く会に価値を感じてくれて、
お金を支払ってくれたことにも本当に感謝を感じます。

さらに自分自身としても自分で料金設定をして、
自分主体で勉強会内容を考え、実施してお金を頂くという経験は初めて。

と言っても、この会のきっかけは
生活保護者であり、上司である方からの「交流会セッティングしろや。」の一声で
自分が声をかけて集め、その後も無料で2,3回やってたら、
参加者の一人が「有料にした方がいい!」と言いだし、
急きょ有料という流れなので、主体とは言えば主体ですが、
流されるままになんとかこなしていくところが主体でないような気も・・・


ということはともかく、自分自身がやることに対して誰かが価値を感じ
お金を頂けたという経験は何物にも代え難い経験だったと思います。


日本にいた頃からワーキングプアだった自分らしい
本当に小さな小さな一歩の成功体験。

でもこれを見てこんな奴がベトナムで頑張ってんだから、俺も少しは
頑張るかと思ってくれたり、まだまだ俺もやれるなと思ってくれるのなら、
それは自分にとってここで活動していることに意義を感じられることだと思う。


この小さな小さな成長に対して、
「よくやったな俺。」と声をかけるのではなく、
今はまだ、「もっと頑張れや俺。」と声をかけようと思う。

なりゆきに流されて、なんとかこなしていくのも自分らしいが、
もっと自分の力で立っていきたい。

まぁひとまずは企画段階から支えてくれた人たちと場所を提供してくれた
EENA HOTELと集まってくれた皆さんに感謝感謝です。


2009年9月26日土曜日

グローバル・国際人を定義する。

 国際人・グローバルな人間が求められている!!という言葉がよく使われるが、
グローバルとは?国際人とは?
一体なにを持っている人がそうだと言えるのか??

ということをふと疑問に思った。

その国の言葉でコミュニケーションできること。英語ができること。
もちろんそれはあると思う。

ただ、それだけではないと自分は最近思う。

なので、今思う自分の国際人とは?グローバルな人間とは?を
記録として書き記したいと思う。

例えとして、ベトナムと日本を例にとって考えてみよう。

以下5つの要素を持ち合わせて自分はグローバルな人と呼ぶ。


①各国それぞれの歴史的背景や祖国との関係性を認識し

ex.ベトナム戦争時代に、日本は直接的には関係していないものの、
  アメリカ軍の武器製造や補給基地として、間接的に関与しており、
  日本の経済発展要因の1つにベトナム戦争によって潤った
  「ベトナム特需」という事実がある。

ベトナム戦争は何も関係なかった他人事の出来事ではなく、
今の自分たちの生活はベトナム戦争の上に
成り立っているものでもあるという認識を持つ。

②関わる国々と祖国が、未来どのような関係性を持つことが
 望ましいかという意見を持ち

ex.ベトナムは国民の平均年齢が確か27歳。食糧自給率推定
  約150~160%(2007年)という日本にない豊富な食糧と労働力がある。
  飛行機で約5時間ほどの遠いようで近い国であり、
  お互いに補完する関係として好ましい。

③常識・当たり前の違いといったカルチャーギャップを
 受け入れる柔軟さがあ

ex.朝ご飯は基本、外で食べる・だいたい売ってる物に値札はないため交渉制、 
     新卒の給与であろう交渉が基本・ビールは冷やさず氷で!


④他国と祖国を比較することで祖国の強み・特徴・
 「らしさ」を確立し、主張できる

ex.日本は情報量の多さと質の高さ・製品やサービスの品質に対して
     満足する基準が世界の中でもトップクラスに高く・厳しい。

     その高い品質とサービス基準をつくり上げてきた向上心・
   技術力・改善力・組織力は日本が他国に誇れるものだと思う。

⑤一方で他国のよさや「らしさ」も見つけ、
  学ばせてもらい、尊重する謙虚さ

ex.家族主義。仕事での幸せを追及することも大切だが、
     親への幸せ・家庭への幸せ・親族とのつながりや
     仲間・友人・人とのつながりを大切にする。

     おおらかで細かいことを気にせず、
     時間の流れに焦らず、あるがままで心のゆとりを感じさせられる。

     あと手先の器用さ・細かな手作業での仕事の精度はすごい。


がある人がグローバルだねぇ~と言える人だと自分は考える。

それに付け加えて・・・


⑥持続可能社会の追求・社会的不公正の解決・
  人々の精神的充足の3つに向き合う

持続可能性社会とは、今の時代だけに気を配るのではなく、
次世代の人類にも今と同じ環境・社会を渡し続けていくという視点を持って生きる。

社会的公正とは、どこに生まれ落ちたとしても
自分のチャレンジ次第で人生をよりよいものにしていける環境と機会があるということ。

現状の世界ではどこに生まれ落ちたとしてもそうは言えない状況であり、
社会的不公正であると言える。

精神的充足は誰もが幸福感・人生の充実感を得られる日々を送れること。


という3つを達成しようという清々しい気持ちを持っていると
なお素晴らしいグローバルな人だなぁと思うのです。

最後の6番は思いっきりチェンジザドリームシンポジウムといううものの
買いかぶりでございます・・・
ご参考までに。




あと少しずつ空白の約4か月を徒然なるままに紹介していきます。



7月頃でしょうか。前職の先輩がベトナムに
ビジネスチャンスを探るためにやってきました。

この日は日本語ペラペラなベトナム人社長が経営する
会社の社員旅行に一緒に参加する日でした。


帰りのロープウェイで社長と日本ビジネス拡大に向けての話があり、
日本で代理営業をすることが決定して日本へ帰っていきました。

一歩踏み出すだけで人生が変わる・様々な機会とチャンスがあらわれる、
人生何が起こるかわからんもんですね~とよく思います。


日本との取引がある中部のベトナム企業はまだまだ数少ないですが、
常に日本との接点は持ちたいと思い続けています。

また日本語教育も盛んに行われ、日本に対する、
いや日本人に対する注目はとても強いものがあります。

現在僕の携帯番号がいろんなところで情報漏洩中で
様々な人からメールが届きます・・・

さらに20代前半の若造なんて、ほぼ皆無なので、
このままいくとダナンで一番有名な日本人になるのも夢ではありません。

現在日本人は120人ぐらいしかいない狭い世界なので、
今後この日本人の数・日本企業の数がどれだけ増えるか、
また日本語が話せるベトナム人がどれだけ増えるかが
ベトナム中部での日本ビジネスのカギとなるかもしれません。




2009年9月23日水曜日

リ・スタート~3か月ぶりのベトナム日記~

 ども。

かなりブログの更新さぼってました。

更新をサボりだしてから、はや3ヶ月。

こっち来て2週間ぐらいでやめたからなぁ。。。

しかし、振り返ってみるとまだ3ヶ月ですか!!

本当に精神と時の部屋に入ってるような気分です。
時間の流れがえらく遅い。

まだまだ生活に慣れていないからこそ、
そう思うのだろうし、単純に起きている時間も長いし、
経験すること1つ1つが新鮮だからというのもあると思う。

ベトナムの朝は非常に早いため普通に
みんな5時、6時ぐらいから活動を始めています。

学校の授業はもう7時ぐらいには始まってますからね・・・

さらに買い物ができたり、タクシーが電話で上手く呼べただけで
イエ~イとか言ってるレベルなので、
小さな小さな小さな進歩がたくさんあるのです。

そんな単純に生きること、生活の幅が広がること自体に
少し面白みを感じられることが
少し幸せなような気もするし、しかし一方でスケールが
小さい人間だなと思うときもあるのです。

それよりも何よりも自分はこの国ではまだまだ何もできない存在で
本当に周りの人に、もっと大きくいうと
ベトナムに生かされているなと感じるのです。

そんな「生かされている存在」だと思えるようになっただけでも
外国で生活することの価値はあるのではないかと思います。

あとは仕事として、自分の可能性へのチャレンジとして、
ここに来ている以上、結果を出すことですね。

ということで、また明日からはこの空白の3ヶ月を振り返りつつ、
今現状を報告しつつ、ブログをリスタートします。







2009年6月21日日曜日

なんでやねんは魔法の言葉

今私は前々からベトナムで仕事をしている鈴木氏が住んでいる住居で
居候をさせてもらっているのですが、ベトナムに来て5日後。

なんと鈴木氏は

「1週間日本に帰るから頑張って暮らしてね。」

とだけいい放ち、いきなり一時帰国。
そしてプチサバイバル生活がスタート。

てか生活よりも何よりも一番心配なのは
私がやれる仕事・・・何もないです・・・

私ベトナム語話せません。英語も話せません。

今現在事務所に日本人は私しかいません・・

しかし、そんな問題を解決し、今週ずっとサポートしてくれてたのが、
つい最近大学を卒業をしたばかりのハイさんです。



彼女は外国語大学の日本語学科を卒業していたので、
非常に日本語が上手であり、彼女のおかげで
僕はなんとか無事にこのサバイバルな1週間を切り抜けることができました。

こんな金なし、語学力なしの人間の支援をしてくれるなんて
本当に感謝感謝です。

そのお礼じゃないですけど、僕は彼女に「なんでやねん」を教え込み、
これさえ言っておけば、関西の人達とはみんな仲良くなれると伝えて以降、
ハイさんはいつも「なんでやねん」ばっかり言っています。

あとダメ押しでコアラのマーチも提供しました。

「なんでやねん」を使うタイミングなどを教えていく中で
だいぶ彼女とも打ち解けるようになり、
プチサバイバル1週間は無事終了を迎えました。

「なんでやねん」のタイミングもだいぶ心得てきたようです。

外国人と打ち解けれる魔法の言葉をぜひお試しあれ。




2009年6月14日日曜日

ところで君の仕事は・・・

 で、おまえは一体何をしにベトナムに行ってるの?
という皆様からよく言われる質問のお答えになるような
日記を今日は書こうと思います。


ですよね・・・いきなりベトナムへぶっとんでしまってごめんなさい・・・

まぁなぜベトナムに来てるのかは後々書くとして、

会社としてやっていることは・・・

��.現場改善コンサルティング
��.日本型経営マネジメントプログラム

→端的にいうとベトナムにある現地企業や日系企業を
対象に現場のベトナム人育成。

長期的に信頼関係を築き上げ、自分の会社に誇りを持ち、常に顧客視点で
さらなる改善を続け、品質を高め続ける。

そんな日本型経営手法のいいところだけをピックアップしたコンサルティングを
ベトナムでもチャレンジしてみません?というのが主なお仕事。

しかし、英語ダメ、ベトナム語ダメ、社会人経験ヒヨっ子の私は別企画で・・・
��.ベトナムスタディツアー企画&ベトナム人学生ネットワーク形成

というのが簡単に言うとお仕事といったところでしょうか?


んで先日はglobal village foundationというNGO団体の方々と一緒に
彼らの活動を見学&枯葉剤被害者の施設訪問や
希望の村といった施設を回ってきました。

global village foundation自体が何をやっている団体かというと
学校建設、図書室建設など教育活動を中心に行なっている団体で
その中でも今回は移動図書館プロジェクトの活動日だったので、
一緒に同行させてもらいました。

流れとしては・・・①定形の本箱を用意。こんなものです。


本箱は開けるとこんな感じ。本棚状になっています。
本の大きさにもよりますが、意外に100冊以上は入るみたいですね。
中には日本のマンガも入ってました。


上部に取っ手があり、持ち運びがしやすいがなかなか重い・・・。

4色の箱を作り、これを一定期間ごとに移動させ、
一年で全ての本箱を循環させるという仕組みだそうです。

③で、それを分校など、図書室の無い学校を
プロジェクト場所として、訪問。
それが今回は枯葉剤被害者の施設でした。

施設の子ども達はとても暖かく、元気よく迎えてくれました。

枯葉剤被害と聞いて、かなりくら~いムードが漂っているんじゃないかと
思っていたのですが、全くそんなことはなく、
「楽しそうにしてるやん。」というのが率直な感想でした。

ただ他にもたくさん施設はあり、時には重苦しく言葉が出ないほどの
姿に絶句してしまうほどの被害を受けた人たちが
今もまだ多く存在しています。

枯葉剤作戦開始からもう少しで50年が経ちそうなのに、
いつまでも忘れられることはなく、
戦争の傷跡とはいつまでも残るものですね。。



ただ、そんな現実の中、彼らの明るく前向きな姿はとても
見ていて気持ちのいいものでした。

ツアーでこのような場所を回る際に、彼らを見て
「自分は恵まれているんだ。」という気づきがもちろん出ると思う。

でもそれよりも生まれた場所が偶然ベトナムで親が偶然枯葉剤被害者で
偶然体に障害を持って生まれてきたという理不尽な現実に対して、
全く気にしていないかのように前向きに、明るく、強く生きている
彼らのいいところを感じとってほしいと思う。




本当に彼らが心の底から楽しんで生きているか、今に満足しているかという
本音の部分は今回の訪問ではわからない。

でも例えその一瞬だけでも明るく振舞い、僕らに学びと気づきを与えてくれる
彼らの心意気と生き方には本当に学ぶべきものがあるし、感謝したい。

並びに今回案内してくれたglobal village foundationの方々には
本当に親切にして頂き感謝感謝でした。

ベトナムに来て約1週間が経とうとしていますが、
なんとなーくゆっくりと楽観的に生きている彼らの人生観を感じ、
かつ前向きに明るく、困っている僕を見るとすぐに声をかけて
助けてくれる優しい人柄。

単純に今生きていることを楽しんでいるのでしょうか?

言葉もわからないし、まだまだベトナムのことを何も知らないけれど、
他者と他国を知ることで、自分と日本という国を見つめなおす
よい機会をつくっていきたいと思います。


2009年6月11日木曜日

ベトナム着いてます!

 ども。

無事2日前にベトナム着きました。

なんせ暑い。。。

1日目ハノイの空港で寝泊り。

ただ、基本24時で締め出しのため、テキトーに人気のなさそうな
ラウンジで隠れて寝てたら警備員みたいな人に見つかり、
「パスポート番号を教えろ」と言われ、ようわからんノートに
自分の名前と番号を記入されて強制帰国させられるんじゃないかと思い、
かなり焦りました。

結局何事もなかったのですが、一体何のチェックだったのだろう・・・

さてさて居候させてもらってる鈴木氏(そのうちご紹介します)と
一緒に住んで2日経ったのですが、今日の学びを書いて寝ることにします。

書きたいことはいろいろありますが、また今後に。


夢や目標は必要なのか?というテーマを話していたのですが、
極論必要ではないという話になりました。

そこが大切なのではなく、
何のため、誰のためにやってるのか?やろうとしているのか?

という「目的」が大切であるという話になりました。

仕事をするにあたって「誰かの役に立つ仕事がしたいんです」という
気持ちは当たり前であって、そもそも「仕事」とは
人の役に立つことをしているから「仕事」なのだと。

んで人の役に立っていないことは「活動」だという。

で、その仕事は誰の、何の役にたち、どんな価値を提供したいのか?
という目的意識を強く持つことの方が重要である。

その夢や目標はあるけれど、それを通じて何をしたいのか?
という目的意識がすっぽりと抜け落ちていないだろうか?

それが抜け落ちてるなら、それは今回話した内容の中では
本当の意味での「夢」や「やりたいこと」じゃないかもしれない。

「やりたいことがよくわからなくなってきた・・・」
という場合には、そもそもそれは何のためにやっていたのか?
という目的意識の確認をする必要があるかもしれないですね。

もっと詳細書きたいですが、延々と止まらなくなるため
今日はここらへんで。

近々写真アップします~。



2009年6月8日月曜日

出発前夜

 ついに明日ベトナム出発です。

こんなこと書いてる場合じゃないけれど、明日から出発だと思うと
今日から書き始めたい!!と思いスタートします。

さっきまでお世話になった学生達と飲んでいて、
とても笑い、とても元気をもらい、さあ出発だ!と行くはずが
帰り電車の途中からえらい不安が襲ってきました。。。

一年前の3月。

関西から東京に就職のために出てきて
1人で駅から自分の部屋に向かう時と

同じ感覚と風景がフラッシュバックしました。


「今日から1人暮らしするねんな・・・」

「明日からベトナム行くねんな・・・」


寂しさと不安が入り交じった感覚。
もう後には引き返せないという現実に直面してる感覚。

ただ、1人暮らしの時と今回で決定的に違うのは助けてくれる人や
見守ってくれる人が1年前と比べて圧倒的に多くなったこと。

てんやわんやの東京ライフだったけど、いろんな人と出会い
繋がれたことは自分の中では1つの成長だし、本当に大切な財産だと思う。

そんな一年間で出会った人達を思い浮かべると
なんだかんだで楽しかった東京。

しかし、この一年間の経験を総括するとやっぱり凍狂。

ふ~落ち着いたことだし、今から最終チェックと片付け始めます!!!

2009年6月7日日曜日

自己紹介ページ

唐津 周平

兵庫県明石市生まれ。東京在住。

新入社員としてインターンシップコーディネートを行う会社に勤める。


その後、てんやわんやありましてベトナムダナン市で3年5か月駐在勤務。

2013年からは東京を拠点にして年に数回ベトナムへ行っています。

ウェブマガジン「グリーンズ」にて自分のことと一部仕事内容について
若干お笑い仕立て風に取り上げて頂きました。
http://greenz.jp/2013/07/05/vietnam/ 



今までブログを通じて、様々な人との出会いがあり、
これからもその出会いを楽しみにしています。

稚拙な文章ですが、どうぞよろしくお願い致します。

何かお問合せの際は
karatsu.viet@gmail.comへご連絡ください。

またはfacebookにメッセージ頂ければ幸いです。

またここで書かれていることは
あくまでも個人の情報発信です。

予めご了承よろしくお願い致します。